2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年3月10日)

○ブラン・ニボン村の避難民キャンプを訪問

 北アチェ県サムドゥラ郡クタ・グルンパン村、タナ・パシール郡クアラ・チャンコイ村の買い付けを、グドンのいちばでおこないました。学生8人とわたしは、グドンに避難しているサムドゥラ郡ブラン・ニボン村のキャンプで、値段が決まるまで待機です。ブラン・ニボン村は、ニンジャが一番最初にサウォッの支援をおこなった村です。
 グドンには、サムドゥラ郡の津波被災者たちが避難しており、ブラン・ニボン村のキャンプには、クタ・グルンパン村やサワン村からもおじさんたちが来て、さまざまな話をしました。
 この地域の人びとは、軍事戒厳令以降、海兵隊に出頭する義務が課せられていました(2月10日の報告を参照)。出頭は、5~7日に1度、メモ帳に名前、職業、日付などを記し、海兵隊がハンコを押します。さらに、海兵隊の詰所の前を通過して、漁船の番号を見せてから、漁に出なくてはならなかったそうです。
 おじさんたちが、「津波後、出頭義務がなくなった。村に戻っても、もうないだろう」と言っていたので、スヌドン郡ではまだ出頭義務があること、出頭した避難民が殴られる事件が起きていること(2月23日の報告を参照)を伝えると、みんな、アチェ語で「まだあるんだ…」と言い合って、一気に顔が暗くなりました。
 そして、津波以前、どれほどに国軍の圧力を受けていたか、「こんな話をしたら、夜には、自分は消えていただろう」と語ってくれました。「いまは外国人がいるからまだいい。外国人が追い出されると聞いているけれども、ジャカルタ(インドネシア政府)を通したら、援助など絶対に届かない。どうかアチェに残って欲しい」彼らの切実な思いです。
 わたし自身も、3月末以降もアチェで活動したいと思っていますし、津波が起きるまで2年間、北アチェ県を訪れられなかったときのような状態には戻ってほしくありません。アチェの人びとが、外国人の存在で、少しでも安心できる限り、国際社会はインドネシア政府に対して、訴えていかなくてはなりません。ただ、北アチェ県でも、津波被災地以外、つまり外国人が訪れることのできない地域では、いまも毎日、軍事作戦が展開されています。

○クタ・グルンパン村、クアラ・チャンコイ村買い付け

 グドンでの買い付けの値段交渉も終わり、キャンプからグドンのいちばに向かいました。学生8人は、いちばの人びと全員の注目を浴びています。わたしが支払いをしているあいだ、学生たちはいちばを回っていたのですが、戻ってきたときには数十人引き連れてくるほどでした。
 買い付け中、クタ・グルンパン村の避難民のおじさんが来て、サウォッではない漁具の支援を求められました。アチェ語だったため、内容をしっかり理解できているわけではないのですが、わたしたちが漁業局から支援を受け、かなり多額の資金を動かしていると思ったようです。
 わたしたちだけでなく、漁具の材料を売っている店主もあわせて、この支援が日本の人びとからのカンパであり、政府や財団などからの助成金ではないこと、津波以前から貧しく、津波後さらに貧しくなった人びとを第一に支援していることを説明しました。おじさんも、納得してくれたようです。
 後述しますが、実際に支援しているなかで、さまざまな問題に直面します。まったく問題が起きない支援をおこなうことは不可能だと思いますが、この支援を受ける人にも、受けない人にも、丁寧に説明し、納得してもらうことで、起きうる問題を最小限に抑えていこうと思います。

<クタ・グルンパン村>
サウォッ・サベェ 8個
・材料費 86万90000ルピア
・製作費(1個6万ルピア、半額のみ前払い) 24万ルピア
サウォッ・シラン 10個
・材料費 186万4000ルピア
・製作費(1個6万ルピア、半額のみ前払い) 30万ルピア
ジャラ 36個
・材料費 1022万ルピア
・製作費(1個8万5000ルピア、半額のみ前払い) 153万ルピア

<クアラ・チャンコイ村>
サウォッ・サベェ 28個
・材料費 111万6200ルピア
・製作費(1個2万ルピア、半額のみ前払い) 28万ルピア
サウォッ・シラン 54個
・材料費 1785万2000ルピア
・製作費(1個5万ルピア、4分の1のみ前払い) 67万5000ルピア

○タナ・パシール郡避難民キャンプを訪問

 グドンでの買い付けが終わり、ブラン・ニボン村のキャンプで昼食をごちそうになりました。支援する側と支援される側というだけでない関係を築けているからかもしれませんが、避難民の状況を知っているだけに、かなり申し訳ない話です。
 昼食後、タナ・パシール郡の避難民キャンプを訪問しました。クアラ・チャンコイ村のサウォッ製作について打ち合わせがあったためです。
 すでにサウォッの材料を支援していた東クアラ・クルト村、マタン・バル村では、製作もかなり進み、完成したサウォッでのプカット・ソロンがはじまっています。未明に漁に出て、キャンプの一角では、収穫された小エビが干されていました。
c0035102_3285184.jpg わたしたちの訪問を受けて、おじさん(というより、おじいさん)がサウォッをもってポーズを決めてくれます。いまでも現役、学生たちから歓声も上がりました。
 日本でカンパしてくださった方がたへのコメントを、と思い、2カ村の責任者になってくれたユスフさんにインタビューしました。「もっとも必要な支援をしてくれた」と絶賛、これではヤラセだと思われてしまいそうですが、とてもうれしい言葉でした。
 ただタナ・パシール郡のキャンプは、1月末に6人の避難民が逮捕され、その後も国軍の脅迫を受け続けているところです。マタン・バル村の避難民は、元の村に仮設住宅を建設されましたが、東クアラ・クルト村の場合、マタン・トゥノン村への再定住が決められています。海から離れたマタン・トゥノン村への再定住を、避難民たちは拒否しています。
 さらに再定住地では、国軍の監視詰所が建てられ、自由に移動できなくなるという懸念ももたれています。これは、ほかの村の場合でも同じです。そのため、避難民たちは、再定住したくないけれども、再定住を拒否すれば、国軍の暴力を受けるのではないかと心配しています。

○ランチョッ村のサウォッ製作の進捗状況

 クアラ・チャンコイ村の打ち合わせ中、バユ郡ランチョッ村から連絡が入ったため、最後にランチョッ村のサウォッ製作責任者のルスリさんのところを訪問しました。
 実は、この村、クタ・グルンパン村と並んで、支援の難しい村でした。わたしたちがルスリさんと話を進めていたところに、何でも自分が支配したがる村人が介入してきたのです。自分が海兵隊と関係が近いことをちらつかせたり、プカット・ソロンする際のゴム靴の値段交渉に口を挟んできたり、売名のためか村長を連れてきたり、ルスリさんが密かに泣いたくらいでした。
c0035102_3292115.jpg しかし、わたしが気になりながらも一時帰国しているあいだに、この支援はカネにならないと気づいたその村人は、消えてしまったようです。わたしたちが訪れたとき、ほとんどサウォッの製作は終わっており、言葉が通じない学生に、身振り手振りで、サウォッのつかい方を説明しているルスリさんは、とてもうれしそうでした。
 ランチョッ村のプシジュッ(儀式)は12日。週末から週明けにかけて、サウォッ贈呈と漁再開の儀式がつづきます。実際には、完成したサウォッで、人びとは漁に戻っているのですが。
 ランチョッ村の問題も解決し、試行錯誤しながらも、プカット・ソロン支援は順調に進んでいるようです。
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by NINDJA | 2005-03-12 03:30 | NINDJAの救援活動