2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年3月12日)

○県警出頭

 11日に新たに2人が到着し、県警に出頭しました(ちなみに11日には、男性学生2人が、ブラン・ニボン村でプカット・ソロンに参加させてもらいました)。今回は、 2月に取得していた北アチェ県知事とロスマウェ市長からの書類を持参し、わたしも一緒に出頭しました。そのせいか、県警諜報部員は、前回「避難民キャンプに行ってもいいが、元の村に行ってはいけない」と言っていたのが、今回は「援助が届いていない村があるといけないから、キャンプ以外の場所に行ってもいい」と変わりました。好き勝手な規則を自分たちでつくっているだけなわけです。
 さらに、シグリ県警からの情報として、「自由アチェ運動(GAM)が20日以降、国際NGOを襲撃するという情報があるから、夕方以降は出歩かないように」とのこと。こういうありえないことを言って、外国人に恐怖を与えるためなのか、それとも自作自演で、GAMが国際NGOを襲撃する事件をつくるのか。 前回出頭した8人分の書類をつくったということで、けっきょく1人5万ルピアずつ要求されていたため、40万ルピア支払って帰宅しました。

○軍事作戦犠牲者に奨学金供与

 10時から、スハルト時代の軍事作戦で夫を殺害された女性たちの子どもに対して、奨学金の供与をおこないました。これは、インドネシア民主化支援ネットワーク(ニンジャ)が2000年からおこなっているプログラムで、現在、約70人の子どもたちに対して、毎月奨学金が供与されています。
 2003年5月に軍事戒厳令が布告されて以来、女性たちと2年間近く会うことができず、女性たちがわたしの顔を見て抱きついてきたとき、涙をこらえることができませんでした。津波後、北アチェ県に戻ってくることができるようになりましたが、女性たちが暮らす村には行けないでいます。彼女たちの村では、いまも軍事作戦が続いているからです。
 女性たちからは、奨学金について、「子どもの学用品を買えるようになってうれしい」「額は少なくても、すごくたくさんもらっているような感じがする」「もしおカネがなくても、わたしたちは友だち」という声が寄せられ、「これからも続けて欲しい」「高校までではなく大学まで供与して欲しい」という希望が
伝えられました。この報告を読まれているみなさまからのご支援もお願いいたします(詳細はホームページ)。

○ランチョッ村へのサウォッ贈呈式

c0035102_140415.jpg 女性たちと昼食をとったあと、ランチョッ村(バユ郡)でのサウォッ贈呈式です。ランッチョッ村に支援したのはサウォッ・サベェ55個、サウォッ・シラン45個。まずバユにあるキャンプに行き、網(ムイ)と竹の棒(ガガン)を車に乗せてから、避難民と村に向かいます。
 ランチョッ村に来たのははじめてでしたが、かなり破壊は深刻です。その廃墟のなかでの贈呈式後、避難民が式の一環として海に入ります。獲れたエビをお土産にもらって、帰宅しました。
 なお、この村で、なんにでも介入したがるおじさんは、一時消えていたようですが、日本人がたくさん詰め掛けたせいか、また登場しました。率先して、サウォッのことなど説明し、責任者のルスリさんは追いやられて、寂しそうです。

○タナ・パシール郡の避難民、「退避」

 こちらは乾季に入ったため、元の村まで行くと、全身土ぼこりだらけになります。2月に熱を出したのも、この土ぼこりでのどを痛めたことが原因だったようです。こちらの友人も、わたしが一時帰国しているときに、のどを痛めたのと疲労とで、2日間入院したくらいです。
 ランチョッ村から帰って、マンディ(水浴び)をして、夕食まで休憩していると、マグリブ(日没の礼拝)後、タナ・パシール郡の避難民が数人家にやってきました。わたしの顔を見るなり、「避難民が追い出された!」と血相を変えて言います。
 タナ・パシール郡の避難民は、この間、さまざまな問題を抱えてきました。1月末には、自由アチェ運動(GAM)に関与したと非難された避難民6人が逮捕され、この逮捕について報道されたために、6人の両親が脅迫され、2月10日には食中毒に遭い…。
 そして、この間は、郡の救援ポストのコーディネーターから多くの嫌がらせを受けていました。たとえばマグリブ中に救援物資を取りに来るように命じられたり(アチェではマグリブ中は外出せず静かにしている)、未明にスピーカーで「キャンプを片付けろ。お前たちは豚のようだ」と言われたり、避難民は自尊心を傷つけられてきました。
 今日は、避難民がバケツに水を汲み、テントで洗濯をしていたとき、このコーディネーターから怒られたそうです。女性たちは、マンディ場でも洗濯をしてはいけないと言われており、どこで洗濯をすればいいのか。その後、郡長がキャンプを見に来たとき、テントで洗濯をしている人がいなかったことから、面子を傷つけられたと思ったのか、このコーディネーターは避難民を殴ろうとして追いかけました。女性たちは泣き、もう耐えられないと、元の村に戻ったそうです。
 しかし、村まで行こうとした友人によると、すでに国軍が警戒していて、なかには入られなかったとのこと。明日、タナ・パシール郡で、サウォッ提供に際してのプシジュッ(儀式)がおこなわれることになっています。果たして、どうなるでしょうか。
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by NINDJA | 2005-03-13 00:36 | NINDJAの救援活動