2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年3月13日)

○タナ・パシール郡、国軍に「包囲」

 昨晩、家に来たタナ・パシール郡の避難民のおじさんたちとともに、元の村に向かいました。プシジュッがおこなわれる予定でしたが、それ以上に、昨晩の事件後の様子が気になります。元の村のモスクのアンプ、スピーカー、マイクが津波で流されてしまったとのことなので、グドンで購入しました。
 はじめ、わたしたちと一緒に行けば、事件について外部に伝えたとして、逮捕されるかもしれないと、途中で降り再び合流するつもりでいたおじさんたちですが、そのまま村まで向かいます。
 しかし、キャンプを越え、村に向かう途中で、国軍に止められることになりました。学生たちを残し、わたしと友人だけが降ります。何をしに来たのか、どこに行くのかという質問に加え、顔つきも警戒しているのが明らかです。北アチェ県から全郡長に向けた手紙を2月に取得していたので、それを見せて、やっと通行を許可されました。ただし手紙は、軍分支部(Koramil)司令官が調べるというので取り上げられ、帰るときに取りに来いと命じられましたが。
 昨晩、避難民キャンプから「逃れた」人びとは、元の村のモスク周辺にいました。支援のアンプ、スピーカー、マイクをイマン(イスラーム指導者)に渡すと、彼は感極まってしまい、下を向きながら、途絶え途絶えに「わたしが責任をもって管理します。本当にありがとうございました」周りで、泣いている女性もいます。昨晩の事件で興奮しているのもあるのでしょうが、あとで友人から「ああやって直接、支援を受けたことがないから感極まったらしいよ」と言われました。
 さて、国軍に止められたこともあり、村に到着するのが遅くなってしまいました。この村では満潮の時間が来てしまったため、漁師たちはみなプカット・ソロンから戻ってきてしまっています。そこで、まだ漁に出ている人がいるという同じタナ・パシール郡のお隣の村まで行くことにしました。
 途中、別の国軍詰所で止められます。また同じ質問。同じように警戒されています。もう北アチェ県知事からの手紙はもってきていないし、さてどうしようかと思いましたが、すでに軍分支部司令官から許可を取ったと伝え、ここも通過できました。
 もうひとつの村では、人びとが集まって、顔を曇らせています。わたしたちのために、わざわざプカット・ソロンしてもらうのは申し訳なく、けっきょく、早々に引き上げました。
 帰り道、軍分支部司令官のところに顔を出すと、郡長が来ていました。わたしたちが、郡長に出頭しなかったこと、郡長を通じて支援をしなかったことで怒っているようです。かなり横柄な人で、これでは避難民からの信頼を得られないのも無理ないと思いました。「ここは危険な地域だ」というのですが、いったい、何で危ないと言うのでしょうか。
 軍分支部前では、キャンプから荷物をまとめ、ピックアップを借りて戻ろうとした人びとが、みんな止められ、キャンプに戻るよう命じられていました。自分たちの村にも戻れないというのは、いったい、どういうことなのでしょうか。
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by NINDJA | 2005-03-14 18:28 | NINDJAの救援活動