2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年3月14日)

○クアラ・ムラクサ村でプシジュッ

 クアラ・ムラクサ村でプシジュッがおこなわれるというので、村を訪れました。朝8時すぎに到着しましたが、ほとんどの人が漁を終えていて、プカット・ソロン自体は見ることができませんでした。
c0035102_1572644.jpg クアラ・ムラクサ村のプシジュッは、ブラン・ニボン村のものとは少し違い、イマンがコメを蒔き、モチゴメをサウォッにつけ、葉につけた水を蒔きます(ブラン・ニボン村では塩と水を蒔いた)。そのあと、モチゴメを食べるのです。ブラン・ニボン村では赤砂糖につけましたが、ここではヤシの実を乾燥させウコンで黄色く染色したものが出てきました。
 プシジュッに参加している限り、サウォッの供与を喜んでもらえているかと思いますが、いっぽうで、この村では問題も起きています。ここも、なんでも仕切りたいおじさんがいて、その勢力(彼らにもサウォッの支援はおこなった)が「アディさん(責任者)は80kgの網をもらって隠匿している」とあらぬ噂を流しているためです。
 サウォッ製作に際して、村で漁具に詳しい人に責任者になってもらっていますが、まったくのボランティアです。データを集めたり、買い付けをおこなったり、サウォッを配ったり、かなりの仕事量を無償でおこなっているのに、こういう噂が流されてしまうのは悲しいことです。
 この間、十数の村で支援活動をおこなっていますが、わたし個人の感覚として、以下のような印象を受けています。
1)自由アチェ運動(GAM)支配地域だった村は、支援しやすい(住民がまとまっている、人権侵害など問題が多く少しの支援でも歓迎される)。
2)村でより貧困の人びとは仮に支援を受けられなくても、ほかの貧しい人びとが支援を受けられれば歓迎してくれる(年老いてプカット・ソロンできない人など)、つまりあらぬ噂を流したり、不満を言ったりするのは、村で割合富裕層である。

○ジャンボ・メスジッド村からの声

 さて、アディさんからバケツいっぱいのエビをお土産にもらって、隣のジャンボ・メスジッド村に向かいます。
c0035102_158436.jpg 政府のリロケーション・プログラムを拒否して、テントをもって村に戻ってきた避難民たちは、何の援助も受けずに、自分たちで村の再建をしていました。瓦礫から集めた木材やトタン板、テントにつかっていたビニールシートなどで家を建てています。
 日本のA新聞の記者が同行され、サウォッ・サベェの供与を受けたイブラヒムさんに取材されました。いつか記事になるかもしれません。

○ロスマウェ市長、北アチェ県知事を訪問

 3月26日以降、アチェで活動をできる外国NGOは選別されるというニュースです。この間、どうするのが一番いいか悩んでいます。北アチェ県での活動を許可されない可能性もあり、バンダ・アチェで登録するとやぶへびに終わるかもしれません。だいたい外国NGOは、国連か支援国政府との協力関係になければいけない、という報道です。
 けっきょく、ロスマウェ市長と北アチェ県知事に、直でお願いしておくことにしました。午後は、両者の訪問です。回答は「問題ない」とのこと。とりあえず推薦状なり、許可書なり書類をもらおうと思っていますが、実際にどうなるかはわかりません。
 どうしても北アチェ県に戻れなければ、友人たちに送金して、プログラムを動かしてもらうことになります。
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by NINDJA | 2005-03-15 01:59 | NINDJAの救援活動