2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年3月24日)

○北アチェ県知事、ロスマウェ市長からの活動許可取得

 この間、あとから追加で要請のあったサウォッの供与をしており、大きな進展はなかったため、長らく活動報告を送れませんでした。
 また、3月26日以降、アチェで活動する外国援助機関・NGOが規制されるため、北アチェ県、ロスマウェ市での活動を継続するための手続きをおこなっていました。活動期限が延びたという報道が流されたと思うと、いっぽうでビザ延長ができなかったという情報が入り、どういう手続きを踏めばいいのか、さっぱりわかりません。また、なまじバンダ・アチェで登録すると、何で北アチェ県という危険な地域で活動するのだ?といわれそうで、けっきょく、直接、北アチェ県知事、ロスマウェ市長からの許可をもらったのでした。

○スヌドン郡塩田の調査

 サウォッの供与も、だいたいのめどがつきつつあり、今日はスヌドン郡での調査をおこないました。スヌドン郡では、避難民が海兵隊に殴られるといった事件がいまも起きています。津波支援を通じて、避難民が人権侵害に直面したとき、訴えられる場をつくっておきたいという思いもあります(タナ・パシール郡については、そういう状況になっています)。ただ、この地域では、プカット・ソロンする人がいません。そのため、どのような支援が適当か、ずっと友人たちと議
論してきました。
c0035102_2121970.jpg スヌドン郡では、女性たちが塩づくりをしています。津波で、塩づくりするための「台所」や道具が流されたり、破壊されたりしました。女性たちは、すでに、自分たちで掘っ立て小屋を建て、塩づくりを再開していました。ただし、つかっている道具も、津波の被害を受けたもの。たとえば煮立てた塩をすくうために、お皿に穴を開け、棒をつけたものをつかっています。スコップや鍬も、同じく間に合わせのものです。
 現時点で、マタン・ラダ村、東ウレェ・ルベック村、トゥピン・クユン村の女性たちが塩づくりを再開しており、この3カ村に対して、塩づくりの道具を供与することになりました。

○ミニ・サウォッのプレゼント

c0035102_2132522.jpg その後、サムドゥラ郡に向かいました。まずブラン・ニボン村にプカット・ソロン用の靴を届けます。ここでの責任者イドゥリスさんが、わたしが日本にもって帰れるように、と小さなサウォッ・サベェを作成してくれていました。かなりカワイイ。27日(日)に帰国すること、4月末にアチェに戻ってくるつもりだということを伝えると、「それこそ、自分たちの望みだ」と言ってくれました。とにかく、外国の目がなくなることを、アチェの人びとは恐れています。
 つぎにサムドゥラ郡のサウォッ・サベェ作成を、かなり一手に引き受けてくれているワリディンさん(サワン村)に帰国のあいさつです。人びとがサウォッを取りに来るときに渡してもらえるよう、靴を預けました。

○ハンセン病の集落への支援

 最後に、サムドゥラ郡クタ・クルン村マタン・スリメン集落の人びとを訪問しました。マタン・スリメン集落は、わたしが確認できた北アチェ県海岸沿いにある二つの「ハンセン病患者の村」のうちの一つです。クタ・クルン村のほかの人たちが入っている仮設住宅に、マタン・スリメン集落の人びとは入ることができませんでした。
 津波が来たとき、逃げることができなかった重度の患者は、木の下で祈りの言葉を唱えながら最期のときを迎えたといいます。ほかの人びとは、死者の清拭をしたがらず、トゥンク(イスラーム指導者)がおこなったとも聞きました。
 ブラン・ニボン村のイドゥリスさんや、グドンでサウォッ材料を買い付けている店ファジャル・ラウットのおじさんから、マタン・スリメン集落の人びともプカット・ソロンしていたこと、なかには店で借金してサウォッを買った人もいると聞き、ここでもサウォッの支援をできるのではないか、と考えています。
 サウォッ・サベェ、サウォッ・シランのどちらを希望するか、それぞれの被災者のデータをもってきてもらうことになりました。
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by NINDJA | 2005-03-25 01:27 | NINDJAの救援活動