2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年4月30日)

○プソン・バル村でアンチャッ供与

 バンダ・サクティ郡プソン・バル村は、ロスマウェの魚いちばのすぐ裏、海沿いにある村です。プソン・ラマ村と並び、この地域での支援は、かなり困難です。 街中であることから、生計を立てるために移住してきた人も多く、もともとの居住者とのあいだの関係が悪い。土地がなく、人びとは海沿いの狭い土地に密集して、厳しい生活を送っている。いろいろな要因があるのでしょう。支援物資が足りなければ足りないで、誰がとるのかで争い、あまればあまったで、やはり誰がとるのかで争う。「プソンの人の頭は、石より硬い」――そんな話をよく聞いていました。
c0035102_3381764.jpg 今回、わたしたちが支援するにあたっても、なんの支援が必要なのか、実は2カ月以上話がまとまりませんでした。最終的に、一定数への支援がおこなえそうだと判断したのが「アンチャッ」と呼ばれる、魚を干す台です。1世帯につき5台ずつ、40世帯への支援が決まりました。さらにカドゥラをとる漁網の支援もすることになりました。
 本日、アンチャッをつくるための角材(1台3本、つまり600本)、網、釘を購入したのち、プソン・バル村で供与をおこない、これまで聞いていた話を、体感させられることになりました。
 「なんだって、40世帯だけなんだ?」
 「みんな、津波の被害者だ」
 「全員に、均等に分けてくれないと不平等だ」
 「暴動を起こすぞ」
 ありとあらゆる人びとから、そんな声が投げかけられます。いっぽうで、「あの人たちは扇動者」「あの人は、アンチャッで魚を干すことを生業としていない」「あの人は、アンチャッを50台、つくったばかり」という反論も出ます。
 わたし自身も、一人ひとりに、わたしたちの支援が、あくまでカンパで成り立っており、大量の資金を動かしているわけではないこと、それゆえに、より貧しい人びとを優先していること、すでにアンチャッを50台もっている人に支援すれば、やはり不平等であると思われることを説明しました。しかし、理解してくれているようにはみえません。
 あちらでも、こちらでも、人びとが声を上げている状態で、わたしは「今日の供与は中止! 村のなかでの調整が必要」と一言。しかし、けっきょくは供与がはじまってしまいました。
c0035102_3363194.jpg さらに、供与が一段落したところで、木材が足りなくなっていることが判明します。誰かがもっていってしまった、もっと直接的な言葉をつかえば、盗んでいったのでした。
 朝から、昼ごはんも食べられないまま活動し、夕方ぐったりして家に戻ると、村から3人の男性がやってきました。あとで集落長が「彼ら3人が騒ぐせいで、村の2000人がいつも飢えている」と評した男性たちなのですが、わたし自身が知らなかった反省材料を指摘してくれました。
 つまり、データをまとめてくれた村の女性の問題で、自身がアンチャッを受けただけでなく、夫が漁網を受けていたというのです。わたしたちの、これまでの原則は「1世帯1つ」ということでした。友人たちは、何度も何度も説明したようですが、その女性は黙って、夫の名前をデータに入れていたのです。
 「より貧しい人たちを優先」という原則を理解してもらえたとしても、一部で2種類の支援を受けている人がいれば、人びとが納得するわけがありません。わたしたちは、この女性に、人びとの前で漁網を返すよう提案しました。女性は、「あの人たちは扇動者だから気にすることはない」などと言って、絶対に譲ろうとしません。
 いっぽうで、この報告をまとめている2日まで、毎晩、毎晩、プソン・バル村の人びとが、我が家に来ます。商売をしている人が「漁網をほしい」と言ってきたり、データをまとめた女性の悪口を言いに来たり。いささか、わたしたちはストレス気味です。
 それにしても、支援の難しさを、つくづく感じさせられます。これまでも、村のなかにある貧富の格差の問題にどう対処するか、ということは話し合っていました。第一段階に貧困層を優先し、第二段階でさらに枠を広げたとする。新たに支援対象となる人びとが必要としているものは、第一段階の貧困層が必要としているものより、資金が必要となる可能性が高い。貧困層により少ない支援だなんて、あってはならない話だし、どうやって解決したらいいだろうか。わたしたちの宿題となっています。
 さらにプソン・バル村の経験も、新たな宿題となりました。
 ちなみに、プソン地域は、自由アチェ運動(GAM)の拠点と言われていた地域です。ロスマウェで聞こえる銃声は、だいたいプソンかウジョン・ブランという地域の方角から、というほどです。プソンの人たちがGAMメンバーになったら、絶対に譲らないし、たいへんだろうなぁと、しみじみ考えてしまいました。
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by NINDJA | 2005-04-30 23:35 | NINDJAの救援活動