2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


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●活動報告(2005年5月6日)

○西クアラ・クルト村を訪問

 5月2日に漁具の材料を支援したタナ・パシール郡西クアラ・クルト村を訪問しました。サムドゥラ郡クタ・クルン村マタン・スリメン集落と同じく、ハンセン病患者の村です。
 同じ津波被災者同士なのに、こういう話を聞くのは本当にイヤなのですが、以前、東クアラ・クルト村の人たちと話していたとき、「クアラ・クルト村は一つだけだ。東クアラ・クルト村なんていうのはない。あるのはクアラ・クルト村とハンセン(こちらではレプラと呼ばれている)村だけだ」と言われたことがあります。
 北アチェ県・ロスマウェ市の村々をほぼ全部網羅した時点で、今後の支援のあり方を考えなくてはならないと思っていましたが、2月から村々を歩いていて、やはり、より差別されている村、より援助物資が届かない村、より貧しい村を重点的に支援していこうと、友人たちと話し合いました。西クアラ・クルト村は、その一つになります。
c0035102_3594166.jpg 友人のオートバイに乗って、サムドゥラ郡の津波被災村を横断して、村に向かいました。途中、サムドゥラ郡ブリンギン村で、政府が建設した仮設住宅を通り過ぎました。サムドゥラ郡の人びとは、みな仮設住宅を拒否、津波で破壊された家の残骸を拾って、自分で家を建てることを選択しました。そのため広大な仮設住宅は、いま誰にもつかわれないままになっています。
 2月はじめの段階で、すでに仮設住宅拒否の声は上がっていたにも関わらず、政府は建設をつづけました。その結果がこれです。これぞおカネの無駄づかい。いっぽうで、援助物資が届かない村々があるというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
 さて、西クアラ・クルト村で、なによりも印象深かったのが、写真のマルズキさんです。
c0035102_401259.jpg マルズキさんは、夫婦ともにハンセン病に罹っています。右足と両手の指を失っていますが、これまでガソリンや灯油を販売する仕事をしていました。しかし津波で、家もドラム缶も、そして義足も流されました。いまは韓国の団体から支援された松葉杖を突き、背中にタバコを入れた小さなリュックを背負っています。海から戻ってきた漁師が、マルズキさんからタバコを1本、2本と買い、リュックにおカネを入れていくのです。またサムドゥラ郡役場所在地であるグドンから灯油のドラム缶を1缶預かり、販売を代行しています。
 マルズキさんのいまの悩みは、家のことです。現在、49世帯のうち13世帯が村に戻ったのですが、マルズキさんはまだ家の柱しか建てられていません。屋根がないため、いまは息子とともに、ムナサ(村の祈祷所)で暮らしています。ただ高床式のため、不自由な足で上り下りしなくてはならないのです。そのため、マルズキさんの妻は耐えられない、とキャンプに戻ってしまいました。
 川魚なら獲ることができるというので、マルズキさんには、すでに川魚用の漁網を支援していますが、屋根用のルンビアの葉も支援することにしました。また津波前は、義足があり、自転車にも乗ることができていたという話なので、なんとか義足を支援できないか、友人たちに調べてもらうことにもなりました。ただし、これはまだマルズキさんには内緒です。
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by NINDJA | 2005-05-07 03:58 | NINDJAの救援活動