2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年8月8日)

 インドネシア政府と自由アチェ運動(GAM)の和平合意が調印される予定の8月15日の1週間前になりました。各地でアチェ和平を望む催し物が開かれています。今日は、アチェに関するニュースをサイトと雑誌で発信しているAceh Kitaなどが主催となって、Rapa-i Pase "Uroe Taloe Rod"がおこなわれました。
 Rapa-iというのは、一般的にtuwalangという木とヤギか牛の皮でつくられた太鼓を指します。Rapa-iの名は、この楽器を生み出したAhmad Rifa'iから来るそうです。そもそもRapa-iは、バグダッド出身のイスラーム詩人Syekh Abdul Kadir Djailaniが紹介、アチェでイスラーム詩を朗詠する際に用いたそうです。Paseは、北アチェ県の西はパセ川から東はジャンボ・アイェまでの地域を指し、Rapa-i発祥の地でもあります。
 "Uroe Taloe Rod"は、8日の0時、バンダ・アチェを出発し、北海岸(マラッカ海峡沿い)を東アチェ県プルラックまで行き、再び北アチェ県パントン・ラブに戻って8日の24時に終了するというイベントでした。食事と祈祷の時間以外、ひたすらRapa-iを叩きつづけるのです。
c0035102_86898.jpg ロスマウェには11時に到着とのことでしたので、ロスマウェから主催者の車に乗せてもらい、最後まで参加することになりました。が、いつになってもロスマウェに到着する気配がありません。ビルン県にいるということなので、こちらから出迎えに行くことにしました。
 13時ごろ、マタンで隊列と落ち合えました。Rapa-iのトラックが13台、アチェの笛Seurune Kaleのトラックが1台、さらに救急車、休憩する人用のバス、主催者の車、報道陣の車…と何十台もの隊列です。夜はともかく炎天下では、かなり体力を消耗するはず。しかし、おじさん、おじいさんたちは、「平和になってほしい」という思いを込めて、Rapa-iを叩きつづけます。
 幹線道路沿いには人びとが集まり、行進を見守っています。なかには思わず、一緒に Rapa-iを叩く真似をして、片手でオートバイを運転するおじさん、「Rapa-i、 Rapa-i」と声をそろえて呼びかける子どもたちもいます。
 津波前のアチェでは、こんな風景を想像できませんでした。わたしが知っているは、チェックポイントがつづき、ジグザグ走行を迫られたり、いつ一斉検問があるかとおびえたりする幹線道路です。バスで移動していても、国軍兵士から自動小銃で狙われたこともありました。いまは、Rapa-iの隊列に向かって、手を振る兵士もいるのです! 津波だけが、こういう「平和な」アチェをもたらしたのかと思うと、なんとも言えない気分ですが、それでも感無量で、思わず涙してし
まいました。
c0035102_864441.jpg 北アチェ県とロスマウェ市の境では、ロスマウェ市政府が用意したRapa-iのグループに迎えられ、さらにロスマウェ市の町ではマルズキ市長らによる歓迎式典も催されました。式典終了後、握手を求められていた市長が、見物していたわたしに気づき、いきなり呼ばれたのにはビックリでした。
c0035102_871456.jpg 再び出発したのは17時すぎ。すでに6時間も遅れています。閉会式がおこなわれる予定のパントン・ラブ(13時到着予定)に着いたのは21時ごろ。ここから本来なら、東アチェ県プルラック(19時到着予定)まで行き、もう一度パントン・ラブに戻ってくるはずだったのですが、とても閉会式には間に合いそうにありません。そこでRapa-iの隊列はプルラックに向かい、同時並行でパントン・ラブ閉会式をおこなうことになりました。
 パントン・ラブの分軍支部(Koramil)広場には、すでに数万人(?)の人びとが集まっていました。舞台を子どもたちが囲むようにして座り、その周りに大人たちが立っています。みな、アチェで大人気の歌手Raflyを待っているのです。
 前座でパントン・ラブ出身のグループが2曲歌い、ジャカルタに住むアチェ人詩人が平和祈願の詩を読み上げ(熱演だった!)、さらにアチェ語漫才(ほとんど意味がわからなかったけれども、なんだかおかしかった)。そのたびに司会者が「Raflyは、わたしたちのところにいます。が、その前に…」とアナウンス。否が応でも Raflyへの期待が高まります。
c0035102_88818.jpg RaflyのグループKandeが現れたときには、みな少しでも前に出ようと押し合いへし合い。わたしも、はじめてRaflyを見られることに、けっこうドキドキしました。Raflyに会うというので、胸をときめかせる(?)日本人は、わたしくらいでしょう(そもそも、Raflyを知っている人がいるのだろうか)。
 ビデオCDで見ていたのと同じRaflyが登場し、歌いはじめると、子どもたちも声をそろえます。なかには体をゆすっている、乗り乗りの子どももいて、将来が楽しみというか、思いやられるというか。ついでに、Raflyがあまり有名でない歌を歌うと、子どもたちは帰ろうと、いっせいに立ち上がります。そうすると Raflyは人気の曲を歌い、子どもたちもまた座るわけです。舞台と客席(席はないが)で、妙に一体感のあるコンサートでした。
c0035102_895617.jpg 途中で、北アチェ県知事タルミジ・カリムの挨拶。これを最後にもってくると、たぶんほとんどの人が帰ってしまうので、Raflyは舞台に残ります(あとでわかりましたが、もっとも人気の曲も残していました)。うわさには聞いていましたが、タルミジのあいさつには、「イスラーム用語」が散りばめられていて、なんとなく説教くさい。
 それでも、ロスマウェ市長といい、北アチェ県知事といい、こうしてAceh Kita主催の和平祈願イベントを支援するのですから、2002年12月に「敵対行為停止合意(CoHA)」が結ばれたときと大違いです。GAMが独立要求取り下げを明白にしたのだから当然かもしれませんが、いっぽうで国軍や国会からは和平協議に否定的な声もありますし、民兵も結成されていますので、地方首長の和平支援には意味があるのではないでしょうか。
 イベントの終了は12時すぎ、帰宅は2時すぎでした。こうして夜に出歩けるのも、津波後のことです。
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by NINDJA | 2005-08-10 08:10 | NINDJAの救援活動