2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年8月11日)

 今日は、タナ・パシール郡西クアラ・クルト村に行ってきました。7月11日の活動報告で流したとおり、女性たちがゴザ編みのために、パンダンの木を植え、それを柵で囲う支援を望んでいるため、事前調査に行ったのです。
 ムナサ(集会施設兼祈祷所)には、女性たちが20人ほど集まり、柵をつくるために何が必要か、パンダンの苗木は何本植えるか話し合いました。まだ元の村に戻ってきていない人たちもいるのですが、彼女たちも含めて46人(つまり全世帯)に対し、以下の支援をすることになりました。
c0035102_18525867.jpg・竹(30本)
・釘(2.5インチ、5kg)
・のこぎり
・金槌
・鍬
・苗木(50本)
 あとは女性たちが、自分で柵をつくります。しかし、どうも男性陣は心配らしく、横から口を出したがります。みんなから「男は黙って」「なんで女の会議に男がいるのよ」とからかわれていました。

 前にもお伝えしたように、この村は「ハンセンの村」です。
 5月6日の活動報告でご紹介したマルズキさんには、すでに義足を供与しました。5月6日、村を訪れたとき、マルズキさんの息子が漁に出ていて腕を怪我しました。その怪我が治らず、バンダ・アチェで治療を受けることになりました。治療費は無料なのですが、交通費・食費は自腹。もちろんマルズキさんには、そんなおカネはありませんので、50万ルピアをカンパしていました。マルズキさんは、まだ村に戻っていないため、義足の調子などは確認できませんでした。
 同じくハンセン病患者のM・ユスフ・ジュロンさん。子どもはできなかったのですが、お姉さんの子どもを養子にしていました。どうしても子どもが欲しかったのだそうです。学校に行かせ、自分の子どもとして育てていたのですが、そのうち2人を津波で失いました。1人は、まだ遺体が見つからないそうです。
 このような人びとへの支援は、残念ながら、ほとんどありません。WHOからの医療支援があったそうですが、紛争が激化したことでストップしています。ハンセン病患者への薬も用意されているはずのですが、タナ・パシール郡長が「薬はない」と言いつづけているようです。ちなみにタナ・パシール郡長は、今回の津波支援についても、とかく評判の悪い人です。保健所に行っても、薬はないと言われ、ここ7カ月間何も飲んでいないという女性もいます。彼女の足の裏は膿みはじめています。
 津波被災者への生活保障も、この間2回だけ。ハンセン病患者への生活支援も遅れがち。さらに、ほかの村の被災者から、ハンセンだということで差別されています。そこで重度のハンセン病患者18人について、何らかの支援をおこなっていきたいと考えています。これまで飲んでいた薬の名前から、いま必要としているものまでをリストにしてもらうようお願いしました。
 もはや、どこに支援を求めたらいいのかわからない人びとは、何度も足を運ぶわたしたちに期待しているのですが、わたしたちができることも限られています。みなさまからお寄せいただいたカンパが尽きたあとはどうなるのでしょうか。もちろん、何とか生活を立てていく力をもっていると確信していますが…。なんとか、いままでにお寄せいただいたカンパで、彼らが少しでも楽に生計を立てられるように考えねばなりません。
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by NINDJA | 2005-08-11 18:52 | NINDJAの救援活動