2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年8月16日)

○アチェの車事情
 15日夜、サバン(ウェー島)からオートマ車が来ました。以前、友人のマニュアル車でタナ・パシール郡を運転した際、約15年ぶりのギアと、道路のあちらこちらにある穴と、さらにベチャ(三輪タクシー)やオートバイとに気をつけねばならず、ヘトヘトになり(乗っているほうは、もっと疲れたはず)、オートマ車が欲しいなぁと思っていたのでした。
 サバンは自由貿易港で、シンガポールから中古車が流れ込んでいて、インドネシアには珍しいオートマ車も手に入ります。ただし、プレートナンバーが「BL(アチェ)<4ケタの数字>NA」の関税のかからない安い中古車は、外にもちだせません。バンダ・アチェでは「NA」車を見かけますが、北スマトラ州メダンに出ることも多いロスマウェでは、メダンを意味する「BK」ではじまる車はありますが、「NA」車を見たことがありません。
 日本の中古車市場価格では考えられないほど高いインドネシアの中古車。これまで何年間も、インドネシアの銀行で少しずつ貯金していたのをはたいてしまったので、日本に戻ったら、がんばって稼がねばなりません…。

○マタン・スリメン集落の水問題
 というのはさておき、本日は、車を運転して、サムドゥラ郡クタ・クルン村マタン・スリメン集落まで行ってきました(5月4日、6月27日報告を参照)。
 5月に訪れた際、「ハンセンの村」として、クタ・クルン村のほかの人とともに、キャンプや仮設住宅に入ることを拒否された彼らは、サムドゥラ・パセー王国の女王ナリシャのお墓の前にある観光局所有の小屋で暮らしていました。
c0035102_18183732.jpg いまはセーブ・ザ・チルドレンが世帯別に建てた仮設住宅(竹で編んだ壁とルンビアの葉で葺いた屋根)があるのですが、電気がないために、昼だけ村に戻っているようです。人びとは、ヤシの葉を集めたり(写真)、TDH(ドイツ、オランダの財団)からの支援による住宅を建てたり、忙しく働いています。この住宅を建てるのに、2人がかりで40日かかります。それも材料がそろっていれば、の話。全員が新しい住宅で生活をはじめるには、まだ日数がかかりそうです。
 この集落では、電気も問題のひとつですが、なにより大きいのは水の問題です。これまでは国境なき医師団がサムドゥラ郡の被災村の水を担当していましたが、緊急段階が終わったと判断したのか、現在は撤退しています。撤退後に水が確保できるのかどうか判断したうえで、撤退してくれればいいのですが、大きな団体の場合、そう小回りもきかないのでしょうか。
 現在、人びとは、住宅建設でつかうセメントをつくるための水(つまり砂と混ぜる水)を飲んでいます。津波以前は川の水を飲んでいたそうです。わたしたちが西ランチャン村や、カンプン・ラマ村で簡易水道を設置したことを知っていて、同じようなものをつくってほしいと頼まれました。
 これまでの2カ村は、マンディ(水浴)、洗濯につかっており、飲料用ではありませんでした(飲料水は津波前も購入していたらしい)。マタン・スリメン集落の場合は飲料用ですから、仮に津波前も川の水を飲んでいたとしても、かなり濾過機能を強化したものにしなくてはなりません。水を汲み上げるポンプのための電気もきていませんので、発電機も必要になります(発電機用の灯油は、人びとが少しずつ出し合う)。
 井戸を掘れればいいのですが、ガスが出て失敗したという例が相次いでいます。さすが天然ガスの地です。本当かどうかわかりませんが、地震でプレートがずれ、地中で空洞ができ、そこにガスが充満しているという話もあります。
c0035102_18193016.jpg もうひとつ依頼されたのが、女性たちによる養鶏支援です。すでに鶏を飼う小屋が建てられはじめています。以前、クルン・マネ(ムアラ・バトゥ郡)でみたのより、ずっとずっと小さな小屋というより籠です(写真参照。ヤシの葉を集めているおじいちゃんともにハンセン病患者で、足首から先が変形し膿んでいました。が、薬はないのです!)。人びとの話では、ハンセンの村ということで、ほかの村とは隔絶し、離れたところにあるため、鶏が病気にかかりにくい(感染しにくい)ことから、養鶏に適しているとか。
 ところで、とくに子どもを対象にした支援に対し100万円のカンパをいただけることになったため、わたしたちの支援重点地域でのニーズ調査をはじめました。マタン・スリメン集落では、子どもの学用品が足りないようです。カバンをもらったが、小さすぎるか大きすぎるかで、スーパーでもらうようなビニール袋で学校に行っているとか、制服も1枚きりで、洗濯ができないとか。支援は、たいへんですが、細かいところまで気を配らないと…です。
c0035102_1820247.jpg 最後にランプの供与。とくに女性たちが、傷がないか厳しい目でチェックし、ランプを選んでいきます。彼女たちの眼鏡にかなわなかったランプは、帰りにお店に寄り、交換してもらってきました。また届けに行かねばなりません。

○西クアラ・クルト村の柵建設に障害?

 友人のひとりは、西クアラ・クルト村で子どものニーズ調査をおこないました。ゴザ編みのためのパンダンの木を囲う柵建設の最終確認も兼ねています。が、ここで障害が発生。土地のない女性たちがいることが判明したのです。この女性たちには別の生計手段の支援をおこなうつもりですが、そうすると柵を支援される女性たちから、自分たちも別の生計手段のほうがいいという声が出るかもしれません。
 友人によると、土地のある女性たちは柵で一致しており、土地のない女性たちに別の支援をおこなってほしいと言っているそうですが、それでものちのち問題にならないよう、再度会合をもったほうがいいという結論になりました。
 子どもたちについては、自転車の要請がありました。以前、すでに村に戻っている小学生に自転車の支援をしていますが、これに加えて、仮設住宅にいる小学生、村の中高生も自転車の支援を希望しているようです。マタン・スリメン集落と同じく「ハンセンの村」として、ほかの村から離れているため、たしかに学校に通うのはたいへんです。
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by NINDJA | 2005-08-17 18:21 | NINDJAの救援活動