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2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年8月21日)

○漁船はくじ引き
 タナ・パシール郡を訪れました。マタン・バル、東クアラ・クルト、クアラ・チャンコイ村は、隣り合った兄弟村です。避難生活の際は、クアラ・チャンコイ村だけロスコン郡に避難。クアラ・チャンコイ村との比較で、タナ・パシール郡内で避難したマタン・バル、東クアラ・クルト村の人びとは援助物資が横領されていることをよく知っていました。
 さて、その援助ですが、いまもさまざまな問題が起きているようです。 たとえばマタン・バル村では、漁船が社会省から支援されました。当初は漁船11隻に加えて、魚網などを購入するために現金30万ルピア、ガソリンをポリバケツ3杯分などの支援が約束されていたのですが、実際に供与されたのは、漁船10隻、現金10万ルピア、ガソリン2杯、といった具合でした。差額分がどうなったのか、いまも問題になっているようです。
●活動報告(2005年8月21日)_c0035102_1048472.jpg ここれは2隻の漁船を3人が所有し、3人で収穫を分けるシステムです。10隻となると15人しか漁船を所有できません。そのため、人びとは、彼らがもっとも公正と考えるくじ引きで漁船の所有者を選びました。ちなみに仮設住宅についても、数が足りなかったため、くじ引きで入居者を選び、くじに外れた人びとのなかには、いまだにキャンプ生活の人もいます。サムドゥラ郡の仮設住宅は、ほとんどが入居したがらずあまっているし、もう少し事前の調査をきちんとするべきだと思うのですが…。
 女性への支援も問題になっています。女性たちは、養鶏、菓子づくり、縫製などをおこなっていましたが、女性たちを対象とした支援はほとんどありません。またあるNGOがミシンを支援し、協同組合をつくろうとしたのですが、これがいまだに「紛争」の種になっています。
 津波後の支援活動を通じて、協同組合をつくろうとしたNGOをしばしば見てきました。しかし被災者たちは、協同組合構想を嫌います。個人の利益を追求したいというのもあるのですが、自分たちでグループをつくり、会費を払うことは厭わないので、それだけではなさそうです。被災者を信頼していないのか、どういう事情かはわかりませんが、多くの協同組合構想において、被災者とは無関係の町の人間が協同組合を管理する職員として雇われています。マタン・バル村へのミシン支援でもそうでした。
 組合のため、という名目で、被災女性たちは無料で子どもの制服をつくるよう「命じられ」、いっぽうで組合職員が携帯電話やオートバイを購入しているのが、被災女性たちには受け入れがたかったようです。「子どもたちのためにおカネをもらわないのはいいのだけど、なんで津波と関係ない人たちが協同組合を仕切っているの?」とは、津波までバタム島で出稼ぎ、縫製業に従事していた女性のことば。
 その子どもたちへの支援もまた問題があります。小学生への制服や学用品の支援について、たとえばUNICEFはスポーツ大会のようなものを開き、そのイベントに参加した子どもだけ、しかも競争に勝った子どもだけが受け取ることができるとか。イスカンダル・ムダ肥料社から中学生向けに、カバンと本が供与されたが、1学年全員にいきわたる数ではなかったため、いまだに配れずにいるとか。
●活動報告(2005年8月21日)_c0035102_10485931.jpg 本当に支援というのは難しいです。ちなみに、わたしたちが2、3月に供与したサウォッは、いまもつかわれていました。女性たちがプカット・ソロンするクアラ・チャンコイ村では、サウォッで獲れたエビが干されているのも見かけました。かなりの美味です。

○ロスコンでエキスポ

 2時ごろまでタナ・パシール郡にいて、その後、ロスコンで開かれるエキスポに行ってきました。アチェ全県の民芸品、北アチェ県の各役所のスタンドが出ています。人気だったのは「津波」スタンド。津波の写真が展示されています。わたしが気になったのは、漁業、農業関係のスタンドで、支援活動に役立つ情報を得られるかもしれないと思っていたのですが、西バクティア郡で発見された足が8本あるヤギの剥製とか、北アチェ県で獲れる魚(それも種類が少ない)があるくらいで、収穫はほとんどなし。
●活動報告(2005年8月21日)_c0035102_10494826.jpg エキスポ会場のはじで、Rapa-iを叩いている人びとがいたので、むしろそちらに惹きつけられてしまいました。おじさんたちのなかには、8日のイベント用のAceh Kita財団のTシャツを着ている人もいます。8日に出会ったおじさんたちがわたしのことを覚えてくれていて、お腹と心臓に響くような音でRapa-iを叩きつづけてくれました。
 一緒にいた友人のひとりは、一度もRapa-iを見たことがなかったとか。和平になって、はじめて聞くことができたようです。
by NINDJA | 2005-08-22 01:46 | NINDJAの救援活動