2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


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●活動報告(2005年8月23日)

 18日につづいて、スヌドン郡を訪問しました。18日には、ビルン県のお葬式に行っていて、トゥピン・クユン村の人びととほとんど会えなかったためです。
 西バクティア郡だけでなく、ここでも出頭義務が残っていました。2月に訪れた際、海兵隊に出頭した際に棍棒で殴られた男性に会いました。その後も住民が殴られる事件があり、出頭義務もゆるくなっていると聞いていたのですが……。
c0035102_15351450.jpg それでどころか、18日にお葬式に出かけた人びとは、「渡航許可」もとっています。お隣の県(以前は同じ北アチェ県だった)に行くだけなのに、しかも和平合意が結ばれたはずなのになぜ? 不思議すぎます。
 さて18日に頼まれたプマタン修繕ですが、プマタンについて、わたしが大きな勘違いをしていたことが判明しました。「水を溜めるところ」と聞いていたので、18日の報告の写真のことだと思っていたのですが、塩田のあぜ道のことでした。c0035102_15353688.jpg津波で壊れたプマタンを埋める支援が欲しいということだったのです。
 ここでは土の量を「スムール(井戸)」という単位で表現します。プマタン5m分埋めるために、1スムール(5×5×6m)の土が必要です。以前、ショベルカーをつかって塩田整備の支援をおこなおうとした団体があったようですが、塩田にショベルカーが入れず、そのままになってしまったようです。1スムール2万5000ルピアの賃金で、被災者が人力で掘り、プマタンを修復することになりました。200スムール分の支援をします。
c0035102_1536489.jpg その後、新たに塩づくりをはじめたマタン・ラダ村の人びとへの器具供与について、人びとと話し合いをしました。東ウレェ・ルベック村と同様の器具、いまは塩水を煮立てる掘っ立て小屋がないため、屋根を葺くルンビアの葉を支援する約束をしました。
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by NINDJA | 2005-08-24 01:33 | NINDJAの救援活動