2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年9月2日)

8月31日:マタン・スリメン集落で洗剤10袋、石鹸5個を全29世帯に供与
9月1日:ロスマウェで石油タンカー火災

○「貧乏人の養殖池」

 今日は、サムドゥラ郡ですでに支援の終了した村々の様子を見に行きました。まわったのは、水道を敷設した西ランチャン村とカンプン・ラマ集落、そしてサウォッと出会うきっかけとなったブラン・ニボン村です。
 サムドゥラ郡の郡庁所在地であるグドンから、村々をつなぐ郡横断道路に入ると、必ず誰かからか挨拶されます。2月末から3月にかけて漁具を支援した村の人びとです。ほかと比べて支援が届きやすく、多くが自分で掘っ立て小屋を建て、元の村に戻って生活を立て直したサムドゥラ郡については、マタン・スリメン集落をのぞいて支援を終了しました。それでも、いまも人びととの交流はつづいています。
 西ランチャン村のアイさんは、友人たちの「養殖池仲間」です。友人たちは、助成金に頼らなくても済むNGO、助成金がなくなって給料がなくても活動を継続することを目指しており(話は横道にそれますが、実際に給料がない時代は各自村からコメを運び込んで食いつないだのでした)、ほかの NGOと比べると雀の涙の薄給から、ささやかなビジネスをしています。そのビジネス(?)のひとつが西ランチャン村の養殖池。アイさんが所有する養殖池で、エビとミルクフィッシュを育ててもらっています。西ランチャン村の人びとと、養殖を通じて、つきあいつづけるという目的もあります。
 そもそも養殖池を所有しているというと、それだけで金持ちのイメージだったのですが、それだけではないようです。先祖から土地を受け継ぎ、水田だったところを養殖池にし、小規模の養殖を営んでいる人もいます。アイさんもその一人です。
 同じような養殖池のあるマタン・スリメン集落の人びとは、「貧乏人の養殖池」と笑います。津波後、ジャカルタなどに住む金持ちの養殖池が早々と復旧する一方で、「貧乏人の養殖池」は、人びとが自分の手で掃除し、あぜ道をつくり直し、池に入れる稚魚や稚エビの資本を借金し…と時間をかけて復興への道を歩みます。 しかし北アチェ県の養殖池は、すでに集約池で土地が破壊され、エビ養殖としてはつかえなくなっているところが多いようです。西ランチャン村でも、エビが病気になってしまいました。当たれば儲けの大きいエビ。エビ養殖は博打のようです(そして、わたしの友人は博打に負けたのでした)。
c0035102_19224373.jpg アイさんが、養殖池のミルクフィッシュ(こちらは無事だった)をジャラ(投網)で獲ってくれました。2尾もらい、我が家の夜ご飯にします。

○被災者同士の村を越えたつながり

c0035102_19232076.jpg ブラン・ニボン村のイドリスさんは、わたしたちにプカット・ソロンのことを教えてくれた漁民です。より貧しい被災者を支援したいという、わたしたちの気持ちを理解してくれたうえ、自分の村だけでなく、わたしたちが気づかない被災地域についても知らせてくれ、いまにいたるまで協力しつづけてくれています。「ハンセン病の村」として隔離されてきたマタン・スリメン集落の存在も、そして集落でプカット・ソロンする漁民がいることも、イドリスさんがいなければ知らずに終わっていたかもしれません。友人の一人(男)は、イドリスさんを父のように慕い、「ワリ(保護者、後見人)」と呼んでいるくらいです。
 イドリスさんの家でヤシの実とお菓子をいただきながら、おしゃべりです。偶然、タナ・パシール郡西クアラ・クルト村(ハンセン病の村)のワハブさんが通りかかり、ワハブさんも加わります。柵について、会合後問題になっていないか聞くと「大丈夫」との返事。一安心です。
 さらに西バクティア郡ムナサ・ハグ村のアブドゥサラム(アブドゥルサラムではない、と本人が強調。GAMメンバーにアブドゥルサラムという名前があるため、間違えられると困るからです)さんまで来ました。
 支援の話、村の状況など、話したいことはつきません(が、アチェ語の会話なので、悔しいことに、わたしには部分的にしかわからない!)。こういう雑談から、わたしたちの支援で問題が生じていないか、どのような点に気をつけるべきか知ることができます。

○海兵隊が駐屯するカンプン・ラマ

 最後にカンプン・ラマ集落です。水道を敷設したあと訪れていなかったので、どうなっているか気になります。
 ここでは、川から3つの貯水槽まで水を引いています。が、なんと1つしかつかわれていない! しかも川からもっとも遠い貯水槽までのパイプが掘り起こされ、はずされています。
 実は、養殖池と道路の整備のために重機が入ることになり、パイプを傷つけないように掘り起こしていたのです。人びとに「一番端の水が塩からいのだけど」と不満をぶつけられたのですが、わたしにはなすすべもありません。
 それにしても、なんとなくカンプン・ラマ集落では、居心地の悪さを感じます。村に親しみがもてないというか、人びとと距離を感じるのです。なぜか異様な村です。
c0035102_19235693.jpg その理由かもしれないものが、あとで判明しました。なんと村の端、川沿いにスラバヤ出身の海兵隊が詰所を建てていたのです(写真は子どもをダシに撮影した海兵隊詰所)。ボランティアをしてくれている女子大生(父親を国軍に殺害された)が、「彼らがいたら、そりゃ異様になるよね」と一言。もちろん因果関係は証明できません。
 海兵隊のトラックの出入りが激しかったため、川にもっとも近い貯水槽へのパイプの調子も悪くなっていました。それで現在1箇所しかつかえなくなっていたのです。
 村の男性に「一番大事な祈祷所の前の貯水槽がつかえるから」と言ってもらいましたが、残念です。重機による整備が済んだら、村の人びとがパイプを設置するとのこと。そのときに再度見に来たいものです。
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by NINDJA | 2005-09-03 02:20 | NINDJAの救援活動