2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2006年2月11日)

○スヌドン郡でもバライ・プンガジアン建設
 女性たちの塩づくりの道具を支援したスヌドン郡マタン・ラダ村の人びとから、バライ・プンガジアン(子どもたちがコーランの練習をする施設)を建ててほしいという要請があり、今日、村まで行ってきました。
 同じく津波の被害を受けたバンタヤン村の人びとが、マタン・ラダ村に移住することになり、その謝礼として、地方開発企画庁にバライ・プンガジアンを建設してもらったのですが、小さすぎて、子どもたちが全員入ることができないようです。そのため隣にもう1軒建てることになりました。
 建設に際しては、資材を提供、あとは村の人びとが協力することになります。この間、援助が大量に流れ込んできたことで、全員の利益のためでも、カネがなければ動かない人びとも増えてしまったらしく、友人たちは「村社会が崩壊した」と嘆いています。村の人びとも「そうだなぁ」と納得、援助に依存するシステムをつくらないよう、働いた日数の半分には賃金を払い、半分には払わないという方法を提案してくれました。
 地方開発企画庁のバライ・プンガジアンでは、屋根にトタン板がつかわれていますが、わたしたちは涼しいようルンビアの葉をつかうことにしました。ただしルンビアの葉はヤモリの巣になるそうで、ハラームである(イスラームで禁止されている)糞がコーランなどに落ちないよう、天井にビニールシートを張ります。

○西バクティア郡の巨大井戸
 スヌドン郡から西バクティア郡に向かい、ロッ・ウンチン村を訪れました。東京駿河台法律事務所さんから子どものために支援された100万円で、小学生に制服を配ったところ、中・高生にも支援してほしいと要請されたため、そのデータ(名前、性別、学年、制服のサイズ)を入手しに行ったのです。
 2005年8月28日の活動報告でも書きましたが、ロッ・ウンチン村には、かなり高圧的な海兵隊基地がありました。和平合意によって、この海兵隊も撤退し、いま村は平穏です。
c0035102_075498.jpg ここでは、ムナサ・ハグ村との境にある水源で巨大井戸を掘り、ロッ・ウンチン村まで水道を引いたので、そちらも見に行きました。地方政府の支援で掘られた小さな井戸2つが完全にかすんでいます。村の人びとも「政府が関与すると、こういうことになるんだ」と笑っていました。
 西バクティア郡は、幹線道路から遠いせいか、自由アチェ運動(GAM)の拠点のひとつだったからか、海に面している地域が少ないせいか、わたしたち以外からの津波被災者への支援がまったく入っていません。「県知事から1度、インスタントラーメンを1人3袋支援されただけだ」と話す被災者は、「インドネシア」に対して不信感を募らせています。
 さらに1haのエビ養殖池に対し200万ルピアの復興支援があるはずなのですが、実際に被災者がもらったのは170万ルピアだけ。この問題については、汚職監視NGOが調査に来ていました。
 村の人びとからの要請で、25日、巨大井戸の贈呈式をおこないます。この地域には、ラパイ・パセと呼ばれる大太鼓を叩くのがうまいグループがあり、贈呈式のときに叩いてもらうようお願いしました。制服を受けた子どもたちもグループをつくって、小さなラパイを叩いてくれるそうです。いまから楽しみです。
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by NINDJA | 2006-02-12 00:08 | NINDJAの救援活動