2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2006年2月14日)

○マタン・スリメン集落
 ハンセン・コロニーのマタン・スリメン集落(サムドゥラ郡)を訪れました。支援してきた40カ村近くのなかで、もっとも好きな村のひとつです。
 この村では、ACHという地元のNGOが、TDHというオランダの財団から資金援助を受けて、家の建設をおこないました。しかし、インドネシア国軍からの質の悪い木材で建てられ、ペンキははげ、井戸もつかえない状態でした。そのため、川から水道を引きました。今日、はじめて水道を見に行きます。
 マタン・スリメン集落は、クタ・クルン村の一部です。しかし、ハンセン・コロニーだと差別され、村から養殖池で隔てられた、海沿いに集落があります。集落につながる道路は、養殖池のあぜ道のみです。
 昨年夏は乾季だったため問題なかったのですが、雨季の現在、このあぜ道はぬかるみ、さらに家の建設資材を運ぶACHのトラックによってでこぼこになっていました。重度のハンセン病患者は、もはやこの道を歩くことはできないとか。 ACHは道路の修復まで考えなかったのでしょうか。
 久しぶりに会ったおじさん、おばさんたちは、みな元気そうでした。わたしが訪れると、いつも一緒についてきてくれる重度のハンセン病患者のおじさんが、本当にうれしそうに笑ってくれて、思わず涙が出そうになりました。
 「あぜ道を運転するのに緊張して、ヘトヘトに疲れた! トラウマになりそう」と言ったら、みんなに大笑いされました。こちらでは金曜日午後は、モスクに礼拝に行かなくてはならないため、男性は漁に出ません。そこで金曜日に、村の人びと総出であぜ道を平らにしてくれることになりました。わたしたちは、トラック10台分の土砂を支援します。
 そんな話をしていると、「まずは一服しよう! このあいだのタバコ(こちらでは売っていないメンソール系)はもってきたか?」と聞かれました。みんな、よく覚えているのです。タバコを分け、「これで、やっと落ち着いた」などと笑いながら、おしゃべりはつづきます。
c0035102_143093.jpg 水道は順調でした。3つ建設した水槽のうち1つは、重度のハンセン病患者のおじさん2人がつくりました。指の第1、第2関節までないおじさんたちです。大工仕事で現金を得ようと、おじさんたちから「自分たちの手で」と言ってくれたそうです。立派な水槽ができました。

○西ランチャン村
 つぎに、同じく水道を引いた超貧困村の西ランチャン村を訪問しました。実は、この水道、とある問題を引き起こしていました。
 この村では、川から電気ポンプで水をくみ上げ、細長い村の中ほどと端に建てた水槽まで水道を通しています。川の近くに住む人から、自分の家の前にも水槽を建ててほしいと言われたのですが、川から直接水をくみ上げることができるため、要請を断ったことがありました。
 最近になって、この人が国有電力会社(PLN)に連絡、電気を止めてしまいました。よくある話なのですが、村の人びとは、電線にケーブルをつなぎ、勝手に電気を引っ張って電気ポンプを稼動させていたのです。
 村の男性のほとんどが出稼ぎに出てしまい、戒厳令中に義務づけられていた夜警をできる男性が3人しかいない村です。村の人びとが電気代を払えるわけもありません。
 そこで、ムナサ(村の祈祷場、集会場)までケーブルを引き、ここのメーターで電気使用量を測り、村が電気代を払っていくことになりました。村の人に必要なケーブルの長さを測ってもらうようお願いし、養殖池のミルク・フィッシュをお土産に帰途につきました。
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by NINDJA | 2006-02-14 23:28 | NINDJAの救援活動