2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●アチェで拘束された『シカゴ・トリビューン』紙記者、体験を明らかに

 12月29日、アチェの津波災害を現地で取材していた『シカゴ・トリビューン』紙北京特派員マイケル・レブとインドネシア人通訳ハンデェウィ・プラメスティはインドネシア国軍に拘束された。
 1月11日、インドネシア政府は、反乱分子の拠点となっていると思われる地域で活動する援助ワーカーに国軍兵士の護衛を義務付けた。
 以下はレブ本人が、拘束されていた模様をみずから記したものである。

 12月27日、インドネシアに到着。12月29日、通訳とともにムラボーに向かう。現地で約40分間取材をしたのち、わたしと通訳は国軍に拘束された。その日一晩、ムラボーの国軍の駐屯地に拘留された。拘束の理由は説明されず、国軍がわたしたちにムラボーにいてほしくなく、どこにも行かせたくなかったということだけがわかった。
 翌朝、ムラボーからバンダ・アチェにヘリコプターで送られ、バンダ・アチェの空港で何時間も待たされたのち、12月30日の夜にメダンに飛ばされた。わたしは間接的に、国外退去させるためイミグレーションに引き渡される、と聞かされた。詳しい理由は聞かされなかった。
 インドネシア軍用貨物機に乗ってメダンに到着した。親切な軍人がわたしの状況をメダンの米国領事館に報告してくれた。その晩、米国領事が空港に到着したとき、わたしは軍諜報部の管理下に置かれていた。領事が空港に到着するとわたしはすぐに解放された。
 すべてのことは非公式に、恣意的におこなわれた。国軍の高官は直接わたしと話すことはなかった。国軍はわたしたちがどうやってムラボーに行く途上のチェックポイントを通過できたのかに興味があったようだ。答えたは、わたしたちはそれぞれのチェックポイントで止まり、通行を許可されたのだ。
 わたしの体験が31日の新聞に掲載され、わたしとガイドはメダンで1日休み、翌日バンダ・アチェへ飛行機で戻った。それからわたしはバンダ・アチェで取材を続けているが、何の問題もなかった。すべては馬鹿げたことで、わたしたちをメダンに運ぶために2人の津波被災者が飛行機に乗れなかった。
 拘束中、わたしたちは拷問されることもなく、食事も水も、トイレも寝床も与えられた。(Asia Media, 05/01/14)
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by NINDJA | 2005-01-14 12:00 | 外国軍・援助機関の規制