2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

●活動報告(2006年2月17日)

○マタン・スリメンの道路修復
 オランダの団体から資金援助を受けたACH(地元のNGO)がマタン・スリメン集落の家建設をおこなったことは2月14日の活動報告で流させていただきました。家建設のための資材を運び入れるトラックが、集落へ通じる1本道(あぜ道)をデコボコにしてしまったため、今日は集落の人びとと道路修復をおこないます。
 朝から人びとが総出で、デコボコになったあぜ道(約500m)を平らにしました。しかし、このあぜ道までの道路が雨でぬかるみ、土砂を積んだトラックが入ることができませんでした。そのため、道路修復は後日に延期となりました。
 ちなみに、国際機関なら、ここで「food for work」プログラムをおこなうのでしょうが、村全体の利益であることから、村の人たちと話し合い、賃金を出すことはしませんでした。「food for work」は、もちろん短期的な現金収入の方法として意味があるかもしれませんが、いっぽうで「なんでもカネ次第」という意識を村に持ち込みました(この弊害については後送)。
 少なくとも、マタン・スリメン集落の人びととは、カネの有無に関係ない信頼関係を築いてきたので、わたしが集落に到着する朝9時前には、集落の人びとのイニシアティブで道路が平らになっていました。
 わたしは車をあぜ道の手前に停め、集落まで歩いたのですが、その帰り道、件のACHがハンセン病患者診察のため、看護士4人を連れて集落に来ました。わたしの車が停まっていることを気にせず、あぜ道へと車を走らせた彼らは、数mのところでぬかるみにはまり、身動きがとれなくなりました。せっかく集落の人が平らにしたあぜ道に、再び溝ができてしまいました。
 しかし、集落の人は誰も助けに行きません。それどころかオートバイで通りがかった男性2人(うち1人は集落長)は、彼らと話したあと、そのまま去っていきます。あぜ道の出入り口に立っていたわたしに「四輪者進入禁止の立て札を立てなきゃ。木を探してくる」ということばを残して。
 家を建てているあいだ、わたしが集落に行っても、ACHのメンバーは自分たちでかたまって、人びとと話をしていませんでした。ハンセン病患者だとして差別されてきた人びとは、それでも彼らに対して不満をぶつけることができませんでした。未完成のままの家が1軒残っていること、ペンキがはげていること、国軍からのひどい木材をつかっていること、すべて黙って受け入れていたのです。
 マタン・スリメン集落は、わたしにとって、もっとも居心地のいいところです。ほかの地域で「援助」の困難さを感じても、ここに来て、暖かい人びとに触れているだけで、わたしは安心できます。ACHを助けなかったのを見て、人びとの静かな怒りを感じました。

○西クアラ・クルト村のマルズキさんと再会
 さて上記の事件の直前、わたしがあぜ道を歩いていたときのことです。集落のほうから、男性が自転車に乗ってやってきました。どこかで見た顔だなぁ、と思っていたら、なんとタナ・パシール郡西クアラ・クルト村のマルズキさんでした。 マルズキさんは、津波で家や商売(ガソリン・灯油売り)道具だけでなく、義足も失いました。西クアラ・クルト村も、マタン・スリメン集落と同じくハンセン・コロニーです。
c0035102_20253635.jpg 05年5月に会ったとき、マルズキさんは松葉杖をつき、タバコを入れた小さなリュックを背負い、漁から戻ってきた男性にタバコを売る小さな商売をおこなっていました。義足があれば、自転車に乗って出かけられるのに、という言葉を聞き、(個人に対する支援なので、ほかの人には黙って)義足を支援していました。
c0035102_2026536.jpg 8月に西クアラ・クルト村を訪れたときは、息子が漁でケガをし、その手術でバンダ・アチェに行っていたため、マルズキさんに会うことはできませんでした。今日、はじめて義足をつけたマルズキさんに会えたのです。
 マルズキさんの西クアラ・クルト村から、マタン・スリメン集落までは、自転車で1時間半かかります。それでも1万5000ルピアの交通費を払えないマルズキさんは、こうして自転車に乗って、商売をおこなっています。
 ちなみに、このマルズキさんも、ACHの車がぬかるみにはまったのを見て、ニヤニヤ笑っているだけでした。後日、村を訪れることを約束して、マルズキさんもわたしたちも帰途につきました。
[PR]
by NINDJA | 2006-02-17 20:23 | NINDJAの救援活動