2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2006年2月18日)

○東クアラ・クルト村を再訪
 17日夕方、日本から大学生3人がロスマウェに到着しました。これから一緒に活動することになります。その初日である18日、タナ・パシール郡東クアラ・クルト村を訪れました。これまで仮設住宅住まいだったのが、やっと家が建ち、人びとも村に帰ることができたからです。
 東クアラ・クルト村と隣のマタン・バル村の、津波で夫を亡くした女性たちに、現在の状況などについて聞きました。

<東クアラ・クルト村の状況>
・現在ある援助は、WFPからの食糧である。1人あたり月、援助米は10kg(以前は12kg)、魚の缶詰2缶、食用油5オンス、インスタントラーメン5袋。政府が約束した生活保障金月9万ルピアはせいぜい2月に1回しかもらえない。
・ドイツのHELPが家を建てたが、台所が狭すぎたため、仮設住宅でつかわれていた木材で改築しなくてはならなかった。この改築のために、大工への支払い15万ルピアかかり、WFPからの援助米(日本政府の支援)を売却している。
・HELPが建設した家のトイレは、まだ使用してはいけないと言われている。修理が必要らしい。
・以前は20万ルピア払える人が電気を引いていたが、今後どうなるのかわからない。HELPが建設した家には電灯がついているが、電気は来ていない。
・清潔な水は、水道公社がトラックで運んできて、手押しポンプ5カ所に貯める。
水を汲みにいかなくてはならないが、男手がなくたいへんである。夕方になると足りなくなる。井戸の水は塩水で、マンディ(水浴)するのもつらい。
・仮設住宅にいるあいだ、子どもが、漁に出る男性がいる家では魚を食べられるのを見なくてはならなかった。いまは各世帯で食事をするから、村に帰ることができて、本当に安心した。

<マタン・バル村の状況>
・マタン・バル村では、どこかの団体(女性は知らず)が家を建てているが、資材が足りず、まだ1軒も完成していない。第1段階として、約310世帯のうち70世帯の建設がおこなわれている。
・マタン・バル村の人びとは、いまだに仮設住宅で暮らしている。クアラ・チャンコイ村の仮設住宅が足りなかったため、クアラ・チャンコイ村の一部の人びともマタン・バル村の仮設住宅に入っている。
・津波で夫を亡くした女性3人は、仮設住宅の1部屋に入れられている。すでに年老いており、祈りの生活をしたいが、それぞれの孫が来て騒ぐため、祈りの生活が妨げられる。1人で生活したい。

 なかでも印象的だったのは、東クアラ・クルト村のある女性です。彼女には9歳、5歳、3歳の子どもがいました。津波に襲われたとき、9歳の子どもは父親(彼女にとっては夫)と、 5歳、 3歳の子どもは彼女が連れて逃げました。しかし彼女の手から 5歳、 3歳の子どもは離れてしまい、津波に呑まれました。さらに9歳の子どもを連れて逃げた夫も死にました。
 残った息子1人と暮らす彼女は、おしゃべりの合間に、こうつぶやきました。「いまは、ちょっとしたことを頼むのでも、なんでもおカネだから…」
 インドネシアでは「ゴトン・ロヨン」と呼ばれる相互扶助システムがあります(ときに政府に利用されることばではありますが)。マタン・スリメン集落での道路修復も、西ランチャン村の水道建設も、ロッ・ウンチン村のバライ・プンガジアン(コーラン詠みの練習をする場)建設も、わたしたちは資材を提供し、飲み物代を出すだけで、みんなのゴトン・ロヨンでおこなってきました(大工が必要な箇所以外)。
 いっぽうで、避難民キャンプや津波に襲われた水田や養殖池、塩田の掃除に賃金を出した団体もあります。津波被災者がもっとも必要としていたのは、現金を獲得することですから、この「food for work」プログラムを否定するつもりはありません。
 しかし、わたしたちは、1回きりではなく、継続的に現金収入につながる道具を支援することを選択しました。被災者たちも、わたしたちの支援が、どこかの財団からの資金によるものではなく、日本の人びとからのカンパだと知っているので、みな理解もしてくれました。
 いま友人たちは、「援助で村社会は崩壊した。ゴトン・ロヨンの精神はなくなった」と言います。夫を亡くした女性は、その被害をもろに受けています。

 女性たちとの話し合いで、わたしたちの1年前の支援にも問題があったことがわかりました。
 1年前、わたしたちは、サウォッ・サベェ、サウォッ・シランと呼ばれるエビを獲る漁具を支援しました。実は、女性もサウォッで漁をしていたにもかかわらず、支援対象にならなかったのです(クアラ・チャンコイ村では女性にもサウォッを支援)。
 東クアラ・クルト村を担当した友人(割合と新しい女性スタッフ)に確認したところ、たしかに女性たちからサウォッ漁をするという話を聞いたが、村の責任者になった男性から「それは男性の仕事だ」と言われたとのこと。さらに男性がサウォッ支援を受ける名簿を作成した際にも、女性たちのことを確認したが、そのままになってしまったというのです。
 女性たちからそのような話が出て、責任者の男性が否定したなら、責任者の男性を通さず、直接女性にサウォッ漁をおこなう女性の名前を聞くべきでした。さらに、この女性スタッフが、事務所の別の友人たちに相談していれば、何らかのアドバイスが得られたでしょう。
 さらに女性たちによると、この村の責任者の男性は、自分の近所の人間のみ名簿に加えたなど、ほかにも問題を起こしているようです。女性たちは、村の責任者の男性に対して不信感と不満をもっており、幸い、わたしたちのことはまだ信頼してくれているようです。この問題をどう解決していくのか、早急に話し合い、女性たちの信頼を失わないようにしなくてはなりません。
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by NINDJA | 2006-02-19 21:18 | NINDJAの救援活動