2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2006年2月27日~3月3日)

○クアラ・シンパン・ウリムへ
 2月27日、東アチェ県で唯一津波に被災したシンパン・ウリム郡クアラ村を訪問しました。以前から支援できれば、と思いながらも、北アチェ県での支援が手一杯で訪れることができなかった村です。
 河口にある村は、自由アチェ運動(GAM)メンバーが海外(マレーシアやタイ)に逃亡する際の基地になっているとして、これまでもっとも軍事作戦の激しかった地域のひとつです。本来226世帯ありましたが、軍事作戦を恐れて村を離れる人が多く、津波時には153世帯になっていました。うち46人が津波で死亡、海岸沿いにある家々はすべて流されました。
c0035102_7234961.jpg GAM拠点と考えられた村は、しかし支援を受けることができませんでした。村のモスク(イスラーム寺院)修復のために、アチェ・ニアス復興庁(BRR)から1985万ルピア出ましたが、家はすべて被災者が自力で掘っ立て小屋を建てています。
 この家が現在問題になっています。地方政府は、海から9km離れたところに、住民を移住させようとして、すでに土地の買収をおこなったそうです。しかし、多くが漁民である村の人びとは、生計を立てる手段を失う、仮に川から海に出る場合は燃料費がかかるとして、地方政府の計画を拒否しています。
 けっきょく村の人びとは2月10日、村から少し内陸に入った土地10haを1haあたり3000ルピアで購入することで、土地の所有者と合意を結びました。地方政府はこの資金を出さないと言っているため、被災者が自腹を切らなくてはなりません。 この村では、仮設学校を建設してほしいと依頼を受けました。村の小学校は津波で破壊され、現在ほとんどの子どもたちが学校に通っていません。「宮殿を建てようと思わなくていい。掘っ立て小屋でもいい。子どもたちが笑える場所がほしい」これが住民の願いでした。
 これまで、ほとんど支援が入っていないこと、3000万ルピア(35万円)程度で建設できそうなことから、仮設学校を建設することになりました。なんとか3月中には完成できればと考えています。

○ビザ更新
 3月2日、3日はバンダ・アチェに行きました。アチェ・ニアス復興庁(BRR)でビザ更新するためです。実は到着時発給ビザで入国していたため、本来なら更新できなかったらしいのですが、ちゃっかり1カ月更新してもらいました。
 アチェで支援したい方のための情報。BRRによれば、
①BRRに登録している現地の機関・NGOがBRRに招聘したい旨連絡する
②受け入れが許可された場合、BRRが日本のインドネシア大使館に連絡する
③ビザ申請者は日本のインドネシア大使館で訪問ビザ(Visa Kunjungan)をとる
というのが正式な手続きのようです。この手続きも、しばしば変更になります。少なくとも、昨年までは到着時発給ビザで、なんら問題はありませんでした(ビザ更新も可能だったそうです)。

○資金のムダづかい
 バンダ・アチェでは、久しぶりに多くの友人と会いました。なかでもIOM(国際移住機関)でコンサルをつとめるアチェ人人権活動家の友人の話が興味深かったので紹介させてください。
 IOMは津波被災者支援だけでなく、和平合意後のGAM再統合プログラムなども進めています(日本政府からも資金提供)。わたしの友人は、GAM再統合、紛争犠牲者支援などに関わっています。
 彼いわく、国連機関の資金のムダづかいが、かなり深刻だとか。国連の指標では、アチェの危険度は3、アフガニスタンと同じだそうです。そのため、スタッフは公共交通機関をつかってはならない、かならず車+運転手をつけなくてはならない、移動するときは2台以上で隊列を組まなくてはならない、2カ月に1度は「危険地」アチェから外に出なくてはならない、危険地赴任手当てが出る…などなど、とにかく安全対策費用が多額になるようです。
 さらにUNISEFは、緊急段階が終了した昨年末、支援国からの資金が莫大にあまってしまい、予算消化のために車を大量に購入したとか。友人は「UNISEFがどうやって支援を集めた? 『アチェの子どもたちは飢えている』とか、美しい言葉を並べたポスターでじゃないか」と怒り心頭。
 バンダ・アチェのウレ・レで「OXFAMはうそつき」という横断幕が掲げられたこともあるらしく(OXFAMはこの対応で1週間、会議をしつづけたとか)、友人は「(団体の名前)、約束した○○はどうした?」といった横断幕やビラをつくりたいと考えているようです。
c0035102_7251641.jpg バンダ・アチェ中心部はほとんど津波以前と変わりませんが、インド洋沿いにロッ・ンガ、ルプンのほうへ向かうと、いまだに被災者はテント住まいしている状況です。史上最大規模の援助がアチェに流れているはずなのに、本当に何につかわれているのでしょうか。
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by NINDJA | 2006-03-04 07:19 | NINDJAの救援活動