2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2006年3月18日)

○マタン・ラダ村のバライ・プンガジアン建設
c0035102_643363.jpg 先日ゴトン・ロヨン(相互扶助)によって、着工がおこなわれたスヌドン郡マタン・ラダ村のバライ・プンガジアン(コーラン詠みの練習場)建設の進行具合をたしかめに行きました。現場に着くと2人の大工さんが作業にあたっていました。トタンの屋根も取り付けられ、プンガジアンはほぼ完成に近いかたちでした。来週の水曜日には完成予定ということです。
 ところで、NINDJAの支援とは直接関係ありませんが、Jariのスタッフがマタン・ラダ村で聞いた家の支援の問題についてちょっと触れておこうと思います。マタン・ラダ村の隣村のバンタヤン村の住民は、津波で村が破壊されたためにマタン・ラダ村の土地に移住することになり、NGOのCordaidが家の支援をおこなうことになりました。Cordaidは建設会社と契約を結び、6m×4mの家を建てるための建築代金として1軒につき1200万ルピアを支払うことになりました。しかし、最終的に大工さんたちのもとに渡ったのは、1軒につき450万~600万ルピアだけで、これではとても足りず、建設作業がずっと滞っていたそうです。どうやら複数のブローカーが関与しているとのことです。
 先日は大手国際NGOの支援金の不正が地元でも大きく取り立たされましたが、津波後のアチェではこのような援助にまつわる不正行為がいたるレベルのところで聞かれます。Jariのスタッフも、援助によって人びとのモラルが破壊されてしまっていると嘆いています。

○西バクティア郡のバライ・プンガジアン建設
 マタン・ラダ村をあとにして、西バクティア郡ムナサ・ハグ村とブランデ・パヤ村のバライ・プンガジアン建設のため、木材と屋根につかう材料の買い付けです。ブランデ・パヤ村のプンガジアンについては、つかわれていない木材があるというので、建設資材の一部とすることにしました。
 その後、すぐ近くに紛争中よく銃撃戦が行われていたという橋があるというので、ちょっと足を伸ばしました。橋は、一面養殖池が広がる場所にある川の間をまたいで架かっていました。橋は木造で、車は通れずバイクがやっと2台通れるくらいの広さで、歩くと大きく揺れる代物です。橋の上からあたり一面を眺めると、本当にのどかな風景で、静かな場所でした。ついちょっと前までここで戦いがおこなわれていたということがとても信じられない感じがしました。でも、その橋の脇にあった掘っ立て小屋にはまだ銃弾の後が生々しく残っていました。GAMだけでなく、養殖池の番をしていた普通の住民も軍事作戦の犠牲になったといいます。
 津波によってインドネシアとGAMのあいだで和平合意が結ばれ、軍事作戦は終わりましたが、住民たちの記憶にはいまでも鮮明に紛争の記憶が残っています。30年近くも続いた紛争を終結にいたらせたのが数十万人の犠牲を出した自然災害であったという事実は、アチェの人たちには、どのような思いで受け止められているのでしょうか。津波後はじめてアチェを訪れたわたしには、その思いをおもんばかることしかできませんが、せめていまの平和がこれからもずっと続いてくれることを願わずにはいられません。(瑛)
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by NINDJA | 2006-03-18 22:50 | NINDJAの救援活動