2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●北アチェ県で活動予定

 アチェやジャカルタのNGOの友人たちと相談し、北アチェ県の被災者への支援をおこなうことにしました。4日には、北スマトラ州メダンでアチェ入域許可証を取得し、陸路で北アチェ県ロスマウェに向かう予定です。
 北アチェ県を選んだ理由は、
・これまでニンジャが活動(女性支援)をおこなってきた地域であり、地元NGOや住民たちと信頼関係を築いている
・北アチェ県は、天然ガスやエビなどを日本に輸出しており、わたしたちの生活とも密接な関係にある
・北アチェ県は自由アチェ運動(GAM)の勢力が強い地域であり、インドネシア軍から「GAMメンバーである」「GAM支持者である」と非難されて、援助物資を与えられない地震・津波被災者が多数存在する
ためです。
 現時点では、みなさまからいただいた義捐金で、
・避難民キャンプでの青空教室(教師を雇う、学用品の供与など)
・家計を立て直すための支援(漁具・魚網の供与、女性の職業訓練など)
・学校建設(費用を調査中)
などの活動をおこなうことを計画しています。
 仮に外国人の規制が厳しくなった場合のために、長く協力関係にある地元 NGOがプログラムを実施していけるような基盤づくりもおこないます。

 地震・津波以前から、紛争避難民に対する支援活動をおこなってきたPCC(ピープル・クライシス・センター)によれば、現在、北アチェ県・ロスマウェ市では2万5000人以上の避難民が発生しています。
・ムアラ・バトゥ郡(チョッ・スラニ村、ルルット村、バユ・サッカー場、グドン・モスクなど):4871人
・ロスコン郡:不明
・パントン・ラブ郡(学校、いちば近くの広場など):不明
・ロスマウェ市内(ヒラク広場、職業訓練校、チュッ・ムティア病院など): 2万2029人

 地元NGOのJariからは、つぎのように伝えられています。

タナ・パシールの避難民について
 地震・津波の30分後、時速300km、高さ10mの津波に襲われ、タナ・パシール郡は壊滅した。海沿いにあったクアラ・クルト村(190世帯、700人)、マタン・バロー村(111世帯、600人)、マタン・トゥノン村、クアラ・チャンコイ村(530世帯、1620人)、クデ・ラパン村(83世帯、400人)の 5村の住民は、メダン=バンダ・アチェ幹線道路からさらに内陸に入ったところに避難している。マタン・バロー村、クアラ・チャンコイ村の住民は、当初、ロスコン郡のサッカー場に 20日間避難していたが、現在はタナ・パシール郡に戻り、ほかの村の住民に合流している。マタン・トゥノン村の住民は、それほど倒壊がひどくなかったため、数週間でそれぞれの家に戻った。
 現在、とくに必要とされている物資は以下のとおり。
・幼稚園から高校までの制服、靴、靴下、学生カバンなど学用品
・子どもや食糧の足りない大人のための軽食(パンなど)
・コーランなどイスラームの勉強のための道具
・女性、子どもの祈祷のための道具
・医薬品とビタミン剤(子どもも大人も痒みを発症している)
・世帯ごとのコンロ(建設された共用台所では料理に時間がかかりすぎる)
 避難民の日々の活動は、漁に出る、塩をつくる、ゴザを編む、魚網をつくる、田んぼを耕すなど。これらの仕事を、女性たちもおこなっていた。現在、住民は生計を得る手段を失い、ゼロからはじめなくてはならなくなった。現在、彼らは生活を立て直すための資本を必要としている。
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by NINDJA | 2005-02-02 14:05 | NINDJAの救援活動