2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●日本軍の到着、第2次世界大戦の記憶をかき立てる

 ラザリ・ハサンは第2次世界大戦中の日本軍によるインドネシア統治時代の残忍さ―殴打、強制労働、虐待―をいまだに覚えている。
 しかし、60年後、ハサンは1000人規模の日本軍の再来を憂慮することなく受け止めている。今回日本軍の目的は違う。12月26日の地震と津波災害に支援の手を差し伸べるために来たのだ。「今回のミッションはすべて人助けのためだ。ユダヤ人、キリスト教徒、日本人、誰でも歓迎さ」と76歳になるハサンはバンダ・アチェで自身が経営するカフェで甘いコーヒーを飲みながら語った。
 アチェ州に日本が送った軍は、自衛隊の海外救援活動としてはもっとも規模が大きく、同州に派遣された外国軍のなかでは2番目の規模にあたる。
 東京側は今回の派遣を、日本の経済力に見合う政治的重みを顕著にすることを狙っており、東南アジアでの影響力を中国と争う時期に実施された。
 しかし、日本に戦時中支配された地域では、日本政府の計算通りに物事は受け取られない。
 先のハサンは語る。「軍のなかには残酷な奴もいれば、いい奴もいる。でもここでは誰もが日本軍を腹の底では憎んでいる」
 この憎しみの根は深い。
 文化的理由から、歴史の本で日本がどのようにして地元女性を性的奴隷にしたかは記述されていないが、強制労働に従事したインドネシア人、日本軍の側にたって戦わさせられたインドネシア人、またどのようにして侵入者が農民から作物を盗んだか、などは語り継がれている。
 ハサンは日本帝国軍がインドネシアを攻撃した1942年当時10代だった。彼は日本軍のための飛行場建設にかり出された。しかしそこで彼が見聞きしたものは、殴打ともっとも身の毛のよだつ虐待の数々だった。日本兵に盗みの罪をきせられた村人がヤシの木に縛られて足を切断されたことを友だちから聞いた。
 現在、日本部隊はアチェ州西海岸沖に停泊する軍艦から食糧を運び、病人を介護し、マラリア蚊退治の殺虫剤を散布している。
 また、ヘリコプターを海岸沿いに飛ばし、コメ袋とビスケットを津波被災者に落とした。後にこのヘリコプターは人びとの輸送をおこなった。教員の一団を大きな被害を受けたムラボーに送り、帰りは疲弊した遺体回収者たちをバンダ・アチェに運んだ。
 津波災害以前、アチェに外国部隊を受け入れることなどまったく考えられなかった。アチェは、インドネシア国軍が独立を標榜する反乱組織への攻撃を開始した2003年から外国人には閉鎖されていた。
 外国部隊が救援物資などの援助をおこなっているのにもかかわらず、インドネシアは3月末という期限をつけて外国部隊に撤退させたがっている。恐らく、外国部隊がいることで反乱組織に国際的同情が集まるのを心配しているのだろう。分離主義者たちは外国軍が留まることを望んでいる。
 日本にとって、今回のミッションは世界の紛争の解決に尽力しているというイメージにより磨きをかけている。 日本の戦後憲法は、23万8000人規模の「自衛隊」を防衛のための役割に限定している。しかし小泉首相は、紛争地域に部隊を送らず金だけ出すという「小切手外交」への批判を静めるため、1992年のカンボジアで国連平和維持軍に自衛隊を参加させた。
 自衛隊幹部は部隊派兵の裏に政治的動機があることを一蹴し、日本のアジア侵略についての質問を払いのけた。バンダ・アチェにあるインドネシア空軍基地でムラモト・タカシ1等陸佐は、「侵略はセンシティブな問題だとは思わない。ここの人びとはいつも微笑み、手を振ってくれる。われわれはインドネシア政府と良好な関係にある」と語った。
 多くのインドネシア人は支援に感謝し、過去を忘れようとしているようだ。「彼ら(日本軍)を許してやるよ。それは過去のことさ」とハサンは語った。(AP, 05/02/01)
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by NINDJA | 2005-02-01 12:00 | 外国軍・援助機関の活動