2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年2月10日)

○ロスコン郡の避難民キャンプ
c0035102_1503867.jpg・ロスコン郡(Lhoksukon)郡には、天然ガス採掘をおこなっているエクソン・モービルがある。
・避難しているのはタナ・パシール郡クアラ・チャンコイ(Kuala Cankoi)村の住民534世帯1734人(死者167人、津波による寡婦18人)。
・援助は十分。郡救援ポストから供与された1世帯あたり30の魚缶がいまだに残っている。野菜も鮮魚もある。
・マタン・トゥノン(Matang Teunong)村に移転させられる予定だが、拒否している。
・社会相が、タナ・パシール郡の避難民キャンプで生活するクアラ・クルト、マタン・バル村とあわせて50隻のエンジン付ボート(漁船)を約束していった。

運んだ物資
粉ミルク 6855ルピア×135箱=92万5425ルピア=1万516円(1円=88ルピア)

○サムドラ(Samudera)郡グドンの避難民キャンプ
・9カ村が避難しているが、本日訪問したのはブラン・ニボン(Blang Nibong)村のみ。276世帯1500人くらいが避難(死者180人)。
・村長、村書記は避難生活を送っていないことから、コーディネーターがおらず、すでに7回も避難民キャンプを移転している。
・ブリンギン村に移転させられる予定だが、元の村から4km離れており、キャンプから村までの2kmより遠くなることから拒否している。しかし、郡救援ポストからは、移転しないと、今後援助を受けられなくなると脅されている。
・国境なき医師団(MSF)(?)が、キャンプにある溝を掃除するよう提案し、避難民が掃除したところ、面子をつぶされたと思ったのか、サムドラ郡の軍分支部(Koramil)に「フランス人の言うことを聞くなら、フランスに行ってしまえ」と言われた。
c0035102_151790.jpg・津波以前、漁に行くたびに海兵隊(Marinir)に報告する義務があった(写真)。
・この村では漁船のない貧困層のため、もしくは追加収入のために「プカット・ソロン(Pukat Sorong)」がある。ザルのようなもので、海のエビ「udang batu」(インスタントラーメンに入っているような、小さくて丸まったもの)をとれば、1日5000ルピアほどの収入になる。女性もできる仕事である。漁具も、材料さえあれば、村人がつくることができるため、今後の自立支援プログラムの候補になりそう。ついでにアチェでは、養殖エビであるタイガー種を「udang wat」と呼ぶ。沖合いに出ないととれないらしい。

運んだ物資
粉ミルク 6855ルピア×90箱=61万6950ルピア=7011円(1円=88ルピア)


○タナ・パシール郡の避難民、食中毒に
c0035102_1513167.jpg 夜になって、タナ・パシール郡の避難民が、インスタントラーメンを食べたあと食中毒になったとの情報が入る。友人(男性)が、すぐにバイクでチュッ・ムティア病院に向かう。
 携帯ショートメッセージサービス(SMS)で、スダコ(小型乗合自動車)運転手から「36人が死亡した」との連絡。急いで、友人に確認すると、現時点で死者なく、 200人以上が重態らしい。スダコ運転手に伝えると、スダコ運転手も、病院に向かって確認したとの返事。
 さらに避難民支援をおこなっているACHの友人からも、現在病院に向かうとのSMS。一緒につれていってもらうことにする。
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by NINDJA | 2005-02-11 01:53 | NINDJAの救援活動