2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告

○プカット・ソロン、さらに2カ村への支援を決定

 昨晩(17日)、ロスマウェの協力団体であるJariのメンバー5人と、これまでの活動の評価と今後の活動予定について話し合いました。物資を運びながら、避難民のニーズを聞いて回りましたが、大人数で行ったり、わたしも同行したりすると、どうしても村長やキャンプ長との公式な話し合いになってしまい、より多くの人びとから話を聞きづらいという反省があります。そのため、今後は、わたしを除いて 2人ずつ2チームをつくり、まだ訪れていない数カ所のキャンプを含め、1日1~2カ所のペースで、ゆっくりと聞き取りをすることになりました。
 その初日として、本日、チュッ・ムティア病院の避難民キャンプ(ジャンボ・メスジッド村、クアラ・ムラクサ村、ブラン・チュッ村)での再調査をおこないました。なるべく隅にいるような人びとや、女性たちからも話を聞くように努めたそうです。

<ジャンボ・メスジッド村>
・プカット・ソロン(32世帯):ただしサウォッ・サベェをつくる職人はいないため、外注する必要がある(ブラン・ニボン村のハサンさんにお願いできる)。
・ミシン:ミシンをつかって民芸品を製作する技術をもっている女性は30人。以前はブラン・チュッ村でミシンを借りていた。津波前に、15台のミシンを援助されたが、すべて津波で流されてしまった。すでにグループをつくり、15台のミシンを、30人でどのように共有するか、シフトを考えている。

<クアラ・ムラクサ村>
・プカット・ソロン(約70世帯)
・ミシン:ただし各世帯1台援助されるのでなければ不要。

<ブラン・チュッ村>
・プカット・ソロン:多くが元の村に戻っており、データはなし。

 まずはジャンボ・メスジッド村、クアラ・ムラクサ村でのプカット・ソロンの支援を進めることになりました。サウォッの種類や、個数など詳細を再度調べ、早いうちに材料の買い付けにいければ、と考えています。

○「ハンセン病患者」への支援を検討

 以前、グドンに避難しているハンセン病患者の30世帯について、サムドゥラ郡長がほかの住民たちと再定住させず、元の村(メイ村)に家を建設することになった、という記事を流しました。友人たちに聞いてみると、サムドゥラ・パセイ王国(※データがないので確認できませんが、13世紀くらい)時代、ハンセン病患者を隔離する場所だったところが、いまのメイ村になっているというのです。友人は、子どものころ、メイ村でつくられた塩というと、人びとが買おうとしなかったという記憶をもっています。
 この記事を書いた記者に確認したところ、メイ村には、たしかに重いハンセン病にかかった人もいるそうですが、すでに治癒した人、もしくは先祖が患者だった人がほとんどだそうです。ハンセン病にかかっているから、ハンセン病にかかっていたから、ハンセン病の親戚をもっているから、いかなる理由でも差別と無理解は許されることではありません。
 そのため、この村の人びとが、今後生活を立てていくうえで必要な支援と同時に、たとえば日本での国家賠償訴訟やホテル宿泊拒否問題などについて、インドネシアのメディアで報道してもらうための記事を書くなど、差別をなくすための働きかけもあわせておこなえれば、と考えています。

○今後の活動予定

 明日(19日)から、ブラン・ニボン村でのサウォッづくりがはじまります。明日は、サウォッづくりの見学に行きます。その後、グドン地域でまだ調査をしていない8カ村での聞き取りをおこないます。
 さらにチュッ・ムティア病院に避難している2カ村でのプカット・ソロンについて、より詳細なデータも収集する予定です。
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by NINDJA | 2005-02-19 02:05 | NINDJAの救援活動