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2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年2月20日)

○いまもつづく軍事作戦

 インドネシア民主化支援ネットワーク(ニンジャ)が、奨学金などを通じて支援している、軍事作戦で夫を殺害された女性の一人が、事務所に来られました。軍事戒厳令が布かれた2003年5月以降、北アチェ県に来られずにいましたので、実に2年ぶりの再会です。
 軍事戒厳令後、彼女の長男Aは、自由アチェ運動(GAM)メンバーだと疑われて逮捕され、いまもロスマウェの刑務所に収監されています。しかしAは、GAMとは何の関係もない、紛争避難民を支援する団体のメンバーでした。わたし自身も、北アチェ県の紛争避難民キャンプに支援物資を運ぶ際、何度もAと一緒に活動していますので、彼が濡れ衣を着せられたと確信しています。ちなみにAがつくってくれた「アチェ、ナツコ」というカタカナの文字と、アチェのシンボルであるレンチョン(短刀)の絵をあしらった表札は、いまもわたしの部屋の入り口に飾られています。
 彼女の次男Bは、2004年7月7日、親戚の家に遊びに行ったあと、友人たちと魚の養殖池に釣りに行ったところを、GAMメンバーだと疑われて撃たれました。拷問も受け、指や腿が切り刻まれていたそうです。
 彼女は、津波後も、状況は変わらないと言います。2月2日、彼女は、GAMメンバーに食事を与えたのではないかと疑われて、諜報合同部隊(SGI)に出頭を命じられました。インドネシア語がよくできない彼女は、どうも「はい」と答えるか、黙っているかしかできなかったようで、3日再度取調べを受けました。12日には、娘2人が呼び出されています。
 2月18日には、彼女の村の近くで、国軍兵士がRBT(オートバイ・タクシー)に乗っていたところに、国軍のトラックが入ってきました。RBTに乗っていた国軍兵士は、私服で短パン姿。それなのに自動小銃を抱えていたため、GAMメンバーだと疑われて、その場で撃たれたそうです。

○バユ郡ランチョッ(Lancok)村の状況

・258世帯(死者220人、多くは子ども、女性、老人)
・再定住について話し合うため、村長らがバンダ・アチェに行っていたため、詳細について話し合えず
・人びとは、元の村に戻ることを望んでいるが、海から100mしか離れていないため、防波堤の建設を望んでいる
・ブラン・リモン村に再定住の計画があるが、地方政府がブラン・リモン村の住民から土地を購入しなくてはならないことなどから、現時点の進捗状況など不明・元の村での男性の生業は、漁船をつかった漁、養殖池、プカットソロン、商売、稚魚
・元の村での女性の生業は、塩田、縫製
・自転車をもっている人は、すでに仕事を再開した
・サウォッを借金して購入した人もいる、プカット・ソロンをすると1日4万~5万ルピアの収入
・現在あるサウォッ10個を、交互でつかっている
・塩田は、先祖代々受け継がれてきた土地だが、いまは海に近くなりすぎて、大波・満潮のときに流されてしまうだろう

○ブラン・マンガット郡ジャンボ・ティモー(Jambo Timoe)村の状況

・169世帯730人(死者63人、津波による孤児16人)
・元の村での男性の生業は、漁船をつかった漁
・元の村での女性の生業は、獲れた魚を干すこと、以前はカニとり
・女性たちは、魚干しをすでにはじめており、大きなゴザ1枚分で1万ルピアの収入を得ている
by NINDJA | 2005-02-22 22:51 | NINDJAの救援活動