2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年2月21日~22日)

○新たに2村でプカット・ソロン支援決定

 2月18日にもお伝えしましたが、チュッ・ムティア病院に避難しているクアラ・ムラクサ村、ジャンボ・メスジッド村でのプカット・ソロン支援が決まりました。クアラ・ムラクサ村では、投網(ジャラ)の支援もおこなうことになります。 21日は、チュッ・ムティア病院の避難民キャンプを訪れ、サウォッ・サベェ、サウォッ・シラン、ジャラのどれを希望するかのリストを作成しました。なかにはプカット・ソロンをできないのに、サウォッ希望者としてリストアップされている人もあり、村の代表(とくに漁について詳しい人)に確認しながらの作業となります。
 リスト化でたいへんなのは、アチェでは「イスマイル」とか「イスカンダル」とか同じ名前をもつ人が多いことです。名字はなく、うしろに父親の名前をつけて区別するのです(父親の名前がヤコブ、本人の名前がムハンマドなら、ムハンマド・ヤコブ)。クアラ・ムラクサ村では、リストをお願いしていた人以外からもリストが出てきてしまい、その照合作業に時間がかかりました。こちらのリストと、あちらのリストにあるイスカンダルさんは同一人物かどうか、なんていうことを、村の人びとと話し合わなくてはならなかったのです。
 また両村から、両方のサウォッを欲しいという希望がありましたが、なにしろ支援対象村が 30カ村もある状況です。「ひとつの世帯にひとつの漁具」を原則にすること、そこからの収益で自分たちで2つ目の漁具を購入することを目指して欲しいとお願いしました。
 23日にクアラ・ムラクサ村、24日にジャンボ・メスジッド村の人と材料の買い付けに行きます。

○ビルン県避難民キャンプへ物資供与

 21日夜から、なにやら節々が痛いうえ、寒気がしています。風邪を引いたかな、と思っていたら、38.5度の熱を出していました。
 先日、バンダ・アチェに行く際に寄ったビルン県の避難民キャンプの状況が、ずっと気になっていたため、22日、基本必需品を運ぶつもりでいました。ピックアップのトラックをお願いし、みんなで荷台に乗っていこうと楽しみに(?)していたのですが、わたしは留守番です。
 夕方に戻ってきた友人たちによると、1週間前の何も物資が届いていない状況は改善されていたようですが、別の問題が起きていました。
 援助物資を運んだところ、避難民がひどくビクビクしている。不思議だと思っていたら、先週、援助物資が届けられたが、それを近くに駐屯している海兵隊に報告しなかったとして、キャンプに避難している8カ村のうちある村の村長さんが殴られる事件が起きたというのです。2日前には、やはり避難している別の村の若者が、自由アチェ運動(GAM)に関与していると海兵隊に逮捕され、いまは警察機動隊詰所に移送されたとか。
c0035102_14246.jpg 結局、友人たちは避難民と相談し、海兵隊の詰所に、直接物資を届けたい旨要請に行くことになりました。海兵隊は、自分たちの詰所に物資を置いていくように命じたそうですが、粘りに粘り、けっきょく、海兵隊の詰所で、村長さんたちに直接供与するということで許可を得たといいます。
 友人がもちかえった「受領証」には、「2005年2月22日、○○さんからの支援を、海兵隊第2大隊/陸軍第742歩兵大隊救援ポストで受領しました」と書かれ、海兵隊兵士ザカリア・アスマンの署名がされています。今回は、避難民に直接渡すことができましたが、この受領証では、避難民に渡されるかどうか怪しいものです。

ビルン避難民キャンプに運んだ物資
・コメ720キロ 230万4000ルピア
・緑豆48キロ 27万3600ルピア
・食用油240キロ 103万2000ルピア
・砂糖121キロ 60万5000ルピア
・卵2016個 99万7900ルピア
・食用油容器 19万2000ルピア

合計 540万4500ルピア=6万1415円(1円=88ルピア)
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by NINDJA | 2005-02-23 01:04 | NINDJAの救援活動