2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

2005年 01月 03日 ( 4 )

 ピディ県シグリ拘置所は、地震後、勾留していた自由アチェ運動(GAM)メンバーを解放した。避難する際、彼らは拘置所から100mは慣れた第0102ピディ陸軍分区の寮にいた国軍兵士の子どもたちを救出した。地震がおさまり、うちの一人イスムアラム(禁固 1年 2カ月)はコタ・バクティ刑務所に出頭した。イスムアラムは GAM受刑者を代表して、非常事態当局責任者に、自分たちを釈放するよう求めている。(Media Indonesia, 05/01/03)
[PR]
by NINDJA | 2005-01-03 12:00 | GAM情報
 アチェの人びとを代表して、アチェ国軍司令官は、救援活動をおこなっているすべての国、政府、NGO、人道支援団体、個人、マスメディア、インドネシア人に感謝する。
 インドネシア政府のアチェ犠牲者への対応はとても悪意に満ちたものである。
・救援物資配給を遅らせているばかげた配給システム(配給はインドネシア国軍からのみというシステム)
・救援を口実とした独立派掃討目的の兵士の動員
・食糧受け取りのための身分証明書携帯義務(不携帯の場合暴力を振るわれることもある)
・海岸沿いの人びとに、海に流されたインドネシア国軍の武器を泳いで取りに行かせる、など

<国際社会、とくに来インドネシア予定のアナン国連事務総長への要求>
 アチェで戦闘中の軍部隊と政治交渉し、一時休戦を約束させ、救援活動に専念できる状態を作ることを強く要求する。
[PR]
by NINDJA | 2005-01-03 12:00 | GAM情報
 『ニューヨーク・タイムズ』紙ジェーン・ペレス記者のバンダ・アチェ報告。被害のもっとも大きいインドネシアが、何故、その対応がもっとも遅れ、支援の申し出を受け入れないかを分析している。
<要旨>
 アチェに駐屯していたインドネシア国軍兵士の多くが職務放棄して安全な場所へ逃げたため、救援活動に大きな支障をきたした。政府は災害発生後の数日間、海外からの緊急支援の申し出を断っていた。分離主義グループと戦闘状態にある国軍は、外部からの緊急支援に懐疑的な対応である。

 アチェ州を30年以上も統治してきた国軍は、州都バンダ・アチェの半分をさらっていった12月26日の津波災害の救援活動でもっと容易に人員を動員できたはずだ。しかし、そこには問題があった。車両を運転するほとんどの兵士が安全な場所を求めて駐屯地(ポスト)を離れてしまったのだ。なかには数百マイル以上も先に逃げてしまった兵士もいる。
 国軍の運転手が大挙して職務を放棄してしまったことで、災害の生存者を助けたり、死体を収容したりするのに必要な国軍のトラック、重装備機材がつかえない状態になっている。
 津波で最大の犠牲者を出した国インドネシアが、どうしてその重大さに迅速に立ち向かえないのか、そして世界中からの援助の申し入れを理解するがどうしてこんなに遅いのか、その理由を示す事例のひとつが上記のようなことだ。
 一般のインドネシア人の多くは、政府よりもずっと支援の必要性を理解している。遺体がいまだに放置されている道端で、『ジャカルタ・ポスト』紙の編集長エンディ・バユニは、外国からの支援の申し出を断る政府を叱り飛ばしていた。エンディは紙面の論考で「アチェを裏切るな―調整せよ」とヘッドラインをつけた。記事の最後でエンディは、「わたちたちのアチェを救え、わたしたちの魂を救え」と結んだ。
 国軍の懐疑的な態度は先週末、2人のアメリカ海軍の医師がムラボーに到着したときに表出した。支援を申し出たこの2人のアメリカ人医師に対して、疑い深い地元軍司令官は、「ここで何をしているんだ?」という言葉で迎えた。最後には国軍司令官の敵対心はなくなったとのことだが、この例からわかるように災害が起きた直後の数日間は意思疎通に障害があった。
 この障害の大きな要因はつぎのとおりだ。内戦が断続的に30年も続いている、インドネシアのなかでもっとも隠された地域、アチェ。ここで大惨事が発生したときに、国軍はアチェ分離主義者たちがこの混乱につけ込むのではないかと疑った。これとは対照的にスリランカでは、政府と反政府グループは休戦を守り、救援活動は順調に進んでいるようである。しかし、アチェでは、災害が起きる以前、外国人は実質的に入域が禁止されていた。アチェに入るジャーナリストは許可が必要で、その許可が下りることはほとんどなかった。だから、外国政府や団体がバンダ・アチェに救援機を着陸させたいと頼んでも、インドネシア政府は250マイル離れたメダンに着陸するよう強く主張した。メダンからバンダ・アチェまでは車を12時間走らせなければならないのだ。英国の援助機関OXFAMが空輸した浄水器は許可がないとして、何日も足止めをくらった。
 土曜日にユドヨノ大統領がバンダ・アチェを訪れ、方針が変わった。国際航空機はバンダ・アチェの軍用飛行場に着陸できるようになった。アメリカ軍のヘリコプターもやってきた。
 アメリカはクリントン政権時代、インドネシアの人権問題を理由に公式な軍事関係を断った。「平常時、インドネシアの悪夢はアメリカ海軍がバンダ・アチェにやってくることだ」とアチェで数年間援助ワーカーとしての経験をもつダニエ
ル・ジブは語る。「しかし、いまや非常事態のさなかにあり、アメリカ海軍も来ている。これは前進の兆しだ。ふつう、インドネシアはこんなことは絶対に我慢できないはずだ」
 いまやアメリカ軍はアチェの空軍基地でインドネシア国軍兵士と並んでキャンプを張っている。10日前だったら考えられないことだ。
 「プライオリティーを設定して、各機関のコーディネーションをしなければならないということを役人は理解していない。ここに政府対応の悪さが反映している」と「津波被災者のための市民社会連合」全国コーディネーターのエミー・ハフィールドは指摘する。地震や火山爆発のあるインドネシアには、アメリカにあるような連邦緊急事態管理局(FEMA)はまだない。津波が発生した直後の数日間、政府はさまざまな団体からの申し出を断った。「政府はわたしたちを信用していないのよ」とエミー・ハフィールドは言う。多くの悲鳴があってやっと、ハフィールドたちのグループは、津波で汚水を飲み込み肺機能をおかされた子どもたち75人をバンダ・アチェからジャカルタへ飛行機で搬送することを許された。
 遅れた政府の対応に、市民活動家だけでなく、政党、とくにとてもよく組織されたイスラーム系の幸福正義党が動きはじめた。目立つTシャツを着た幸福正義党のメンバーの姿は、町中でもっとも被害の激しい場所のいたるところに見られる。彼らは遺体を捜し出し、衣服を配布していた。
 アルウィ・シハブ国民福祉調整相は先週末から現地で陣頭指揮をとっているが、いまの救援活動のペースではまだだめだと言っている。国軍兵士が他州から集められ、機材のオペレーションにあたっている。シハブはバンバン・ダルモノ将軍を救援活動の指揮官に任命した。ダルモノ将軍の最初の指示は、橋の上に積み上げられている遺体を収容することだった。(The New York Tims, 05/01/03)
[PR]
by NINDJA | 2005-01-03 12:00 | 国軍の援助妨害
<要旨>アチェで活動をおこなうインドネシアの団体Air Putihからの活動報告。アチェの被災者を支援しなくてはならないはずの役人たちが、大統領、閣僚、高官のアチェ訪問にばかり気をとられ、支援活動が進んでいない状況を伝える。

 災害が政治的チャンスになることは最初から懸念されていた。アチェの活動で、Air Putihボランティアは、その現実に直面することになった。
 真の英雄は犠牲者であり、生存者だ。ボランティアでも、役人でもない。ボランティアになることは、人道的な義務によって導かれるもので、ほかの目的のためではない。役人や政治家たちは、これが任務だからおこなわなくてはならないのだ。彼らは国家、つまり国民から給料を得ている。彼らが政治的義務と任務を果たしたからといって、英雄的なことでも何でもない。もし彼らが、自分たちを優先権を得るべきエリートと位置づけ、それによって、もっと重要な使命を帯びた人びとが出発を延期したり中止したりせざるを得ないことになるなら、いま苦しんでいるわたしたちの友人を裏切ることになるのだ。
 ハリム空港では、空軍機が、アチェに何をしに行くのか明らかでない役人ご一行様とエリート・ボランティアたちのため、必死で便宜を図っている。テレビがそれを取材すれば、万歳だ。メディアも、政治家に踊らされ、ジャーナリストとしての倫理を忘れている。いっぽうで数十人、数百人のボランティアは、いつ出発できるかもわからないまま、順番を待っている。それどころか、横柄な担当官に、一方的にキャンセルされたり、延期されたり、怒られたりしている。心身、そして財産をも投げ出そうとしているボランティアたちより、自分たちが優れているとでも考えているのだろうか。アチェの人びとは、一秒、一秒、自分たちの生命で支払わなくてはならないというのに、この国の役人は気づかないのだろうか。
 担当官たちは、いま大統領を含め、役人ご一行様のアチェ訪問のために忙しい。ただただ上司のため。人びとへの支援は放ったらかしだ。わたしは、多くのボランティアが、何時間も、何日も待ち続け、運ぶための支援物資を得るために空港に行ったり来たりするのに出会った。医薬品の配給は最優先課題なのに。ボランティアたちは、何の調整もなく、自分たちのイニシアティブで活動している。たとえばインドネシア赤十字チームは、必死で避難民の手当てをしている。避難民の状況は最悪だ。緊急テントでは収容しきれない。そして、そのすぐ近くに、たくさんのテントが役人ご一行様の訪問を支えるために積み上げられているのだ。
 さらに悲しいことに、すべての輸送手段―国軍のトラックも―は、大統領が訪問する地域周辺に集められている。そこでは、遺体も見えないところに置きなおされている。ものすごい努力で、道路も清められる。突然、電気も水も通信も、すべての施設が準備される。疑問なのは、では、なぜいままでやらなかったのか、ということだ。結局は、ただ役人が訪問するためだけなのか。
 制服を着たエリート・ボランティアたちの公認ポストは、特別の便宜を与えられているとも聞く。人びとが清潔な水を得られないでいるときに、彼らはマンディ(水浴び)をし、化粧をできるのだ。この1週間、完全に飢えている人びとの前で、平気で食べることもできるのだ。
 ボランティア、ジャーナリスト、そして海外のボランティアは、被災者とともに真剣に活動している。いつでも、わけのわからない利権が優先されるなかで、闘っている。わたしたちは、ボランティアと被災者自身がおこなってきた、そして現在もおこなっており、今後もおこないつづける活動をみて、本当に恥ずかしく感じている。わたしたちは何もできず、ここに来るのにふさわしくなかったと思うのだ。(Air Putih, 05/01/03)
[PR]
by NINDJA | 2005-01-03 12:00 | 国軍の援助妨害