2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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2005年 03月 10日 ( 1 )

○アチェでの活動再開

 1週間の一時帰国を終え、ロスマウェに戻ってきました。たった1週間、アチェから離れていただけなのに、なんだか、とても長く感じられる1週間でした。
 3月7日に、ジャカルタ入りしました。今回は、8人の学生も一緒です。上智大学では「ソフィア津波ボランティアーズ」、埼玉大学では「さいたま災害支援学生ネットワーク」という学生たちの団体が立ち上がり、スマトラ沖地震被災者のための支援活動をおこなっています。彼らが集めた寄付は、インドネシア民主化支援ネットワーク(ニンジャ)を通じて、ロスマウェ市と北アチェ県の被災者に届けられています。
 8日、バンダ・アチェ、大アチェ県の被災状況を見てから、ロスマウェに戻りました。ニンジャの活動の再開です。この活動報告も再開です。

○県警に出頭

 本日(9日)午前中は、友人たちとこの1週間の進捗状況について確認し、今後の活動について話し合いました。わたしが一時帰国しているあいだに、北アチェ県サムドゥラ郡サワン村、プウク村に対して、プカット・ソロン(ブログでこれまでの活動報告をご覧ください)の漁具サウォッの材料を供与しました(会計報告は下記)。これで 8カ村に漁具の支援をおこなったことになります。
 また、すでに材料を供与していたタナ・パシール郡マタン・バル村、東クアラ・クルト村、ロスマウェ市ブラン・マンガット郡ジャンボ・メスジッド村で、材料が不足していたことが判明、追加の買い付けもありました。
 友人たちとの会議中、県警から電話が入りました。学生が出頭しなくてはならないというのです。ここでは、外国人の宿泊客について、宿が警察に届けなくてはなりません。届けを受けた警察が、出頭を求めてきたわけです。友人たちと相談し、学生の代表2人が全員分のパスポートをもって出頭することになりました。わたしは、宿ではなく、友人たちが事務所としてつかっている借家にいるため、出頭せずに様子見です。下手に出頭して、家が監視されたら、自由に活動できなくなるからです。
 1時間以上して戻ってきた友人の説明を聞いたのですが、けっきょく、県警が何を求めているのか、よくわからない。なぜ、北スマトラ州メダンの入管に出頭しなかったのか。2月に、わたしがメダンの入管でアチェ入域許可書(ブク・ビル)を申請したときには「ボランティアは不要になった」と言われています。なぜ、バンダ・アチェの州警察で出頭しなかったのか。報道では、3月26日以降も活動したい外国人は登録しなくてはならない、となっています。
 要するに、外国人がアチェで活動することを、インドネシア政府は望んでいないのでしょう。すでにUNHCRやIOM(国際移住機構)といった国連機関が「アチェには難民(Refugee)も移住者(Migrant)もいないから、 UNHCRやIOMがアチェで活動するのはおかしい」と国家警察から槍玉にあげられています。
 県警は、友人に対して、外国人が出頭しなかった場合、受け入れ側のアチェ人が懲役1年、罰金500万ルピアの刑に処せられるという、非常事態下の規則を記した書類を見せたようです。それを聞き、わたしも出頭することにしました。3月末以降も活動できるように、ロスマウェ市長にも連絡をとり、サポートしてほしいとお願いしています。
 けっきょく、学生は避難民キャンプに行ってもよい(ただし避難民の元の村に行ってはならない)という口頭の許可をもらうことができました。が、警察はカネも欲しかったようです。1人につき5万ルピア、そのつぎは全員で10万ルピア、友人が「10万ルピアもっていないので、いま5万渡して、あとで5万払いに来ます」と言ったら、5万ルピア(568円)まで値下がりしました。「わたしたちのあいだだけの話だよ」との言葉つきです。
 学生たちには、こちらの友人たちにリスクを負わせ、わたし自身(ニンジャ)の活動も制限される(わたしひとりで行動している限りは、こちらの人たちに紛れ込めるのですが、学生8人と行動するとさすがに目立つのです)とわかっていて、なおかつ友人たちが学生を受け入れた意味を、よく考えて欲しいと言いました。
 多くの避難民が「政府もNGOもデータばかり欲しがる」ことに不満をもっています。彼らは、単なる調査の対象でも、見物の対象でもありません。学生が、アチェまで来て、さまざまなことを見聞きしても、日本で何の活動もしなければ、彼らがアチェに来た意味はなくなってしまいます。それどころか、こちらの友人たちの活動を制限しただけ、という結果にもなりかねません。わたし自身についてもいえることですが、アチェと関わることで生じる責任があるのです。

○ブラン・マンガット郡のプカット・ソロン支援

 とりあえずは無事に県警への出頭も終え、いよいよ活動再開です。
 チュッ・ムティア病院に避難していたブラン・マンガト郡ジャンボ・メスジッド村の避難民たちが、援助を与えられなくなり、また再定住予定地であるムナサ・トゥノン村が海から遠いために再定住を拒否、テントをもって元の村のモスクの前に移動したと聞き、村を訪れることにしました。同じく病院に避難していたクアラ・ムラクサ村の避難民は、津波による倒壊をまぬがれた家に戻ったようです。この 2つの村はお隣同士で、ニンジャが支援したサウォッとジャラ(投網)もほぼ完成したとのこと。あわせて訪問しました。
c0035102_18525940.jpg ジャンボ・メスジッド村では、稚エビの養殖もはじまっていました。養殖をしているおじさんは、養殖池が津波に襲われ、1億ルピアの損害を受けました。その後、自分で養殖池の片づけをし、1000万ルピア借金して、100万尾の稚エビを購入したそうです。マッチ棒ほどの大きさまで育ったら、メダンで売ります。地元で売ると1尾20ルピア、メダンだと35ルピアになるからです。
 こういうおじさんを見ていると、実は、援助など必要ないのではないかと思います。人びとは、援助に依存しなくても、自分たちで生活を立て直す力をもっているのです。友人たちとも、わたしたちの支援は、あくまで彼らが自分たちで生活を立て直すきっかけづくりだと話しています。
 自慢話になってしまいますが、インドネシアの国営ラジオ局がバユ郡ランチョッ村の避難民にインタビューしたとき、避難民がニンジャのプカット・ソロン支援について「日本の、コがつく人から、サウォッを支援された。わたしたちの経済を立て直すための支援は、それだけだ。ほかは、みんなデータを集めていくだけ」と話してくれたそうです。ラジオ局の記者が教えてくれ、ぜひ録音を聞かせてもらいたいと頼んだのですが、カセットテープが足りないため、繰り返し録音するそうで、すでにこのインタビューは消されてしまったとか。
c0035102_18534960.jpg 閑話休題。ジャンボ・メスジッド村では、サウォッ・サベェを32、サウォッ・シランを11、ジャラを10支援しています。すでにサベェは16、シランは11すべて、ジャラは9完成したそうです。ここのサウォッ・サベェの網は黒、青の2種類、海底を滑りやすくするために(つまり埋まらないように)するために竹の棒の先端につけられる器具は、ヤシの実がつかわれています。同じサウォッでも、村によって材料が違うのは興味深いところです。
c0035102_1854398.jpg クアラ・ムラクサ村では、サウォッ・サベェを23、サウォッ・シランを18、ジャラを24支援しました。いまは波が高く、サウォッ・サベェで獲る小エビ漁には出られないのですが(小エビが流されてしまっている)、サウォッ・シランをつかってプカット・ソロンがおこなわれていました。潮の満干の関係で、いまは朝4時ごろ漁に出ているそうです。ブラック・タイガーも獲れ、今日の収穫は1世帯8万ルピアにもなったとか。お土産に、エビをビニール袋いっぱいもらってしまいました。
c0035102_1856097.jpg クアラ・ムラクサ村では、ちょうどジャラを製作していました。投網と言われても、まったく想像できていなかったのですが、実演してもらって、やっと納得です。網を広げた円周の部分が折りたたまれており、ここにエビが入る仕掛けになっているのです。
 今回、はじめて、アチェの漁村の暮らしを垣間見ることができたのは、わたし自身にとっても貴重な経験です。さらに、はじめて、物資を供与するという活動をしましたが、いままで援助がむしろ問題を引き起こすケースを見てきただけに、さまざまな不安がありました。本当にささやかな支援ですが、人びとが以前の活動を再開していくのを見ることができて、安心するとともに、かなり幸せな気分を味あわせてもらっています。これで、人権侵害がなくなれば、どれほどいいか!
 クアラ・ムラクサ村では、サウォッとジャラを受けた人びとが全員集まって、14日にプシジュッ(儀式)をおこない、一斉に漁に出ます。いまから楽しみです。

<サワン村>
サウォッ・サベェ 85個
・材料費 863万2250ルピア
・製作費(1個6万ルピア、4分の1のみ前払い) 127万5000ルピア

<プウク村>
サウォッ・サベェ 12個
・材料費 122万500ルピア
・製作費(1個6万ルピア、半額のみ前払い) 36万ルピア

計 1038万9750ルピア=11万8065円(1円=88ルピア)
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by NINDJA | 2005-03-10 18:56 | NINDJAの救援活動