2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


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2005年 08月 08日 ( 3 )

●GAM交渉担当者、釈放へ

 ヘルシンキにおけるインドネシア政府と自由アチェ運動(GAM)との和平合意に関連し、GAMメンバーに対する恩赦が与えられる予定である。この恩赦は、ほかの15人のGAMメンバーとともに西ジャワ州バンドゥンのスカミスキン刑務所に服役している3人のGAM交渉担当者に対しても適用される。
 また和平合意の関連で、北アチェと東アチェ県で、13カ月間任務に就いていた海兵隊第7大隊メンバー654人も撤退する予定である。(Liputan6.com, 05/08/08)
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by NINDJA | 2005-08-08 12:00 | 和平への動き
 国会第1委員会委員ジョコ・スシロは7日、アチェで任務に従事している国軍兵士の副食費を一人あたり1日1万7500ルピアから、2万5000ルピアに引き上げることを明らかにした。副食費の上昇は、すでに国防省によって国会へ提案され承認された予算のなかで言及されていたが、1日1万7500ルピアとされていた。国会は今回の副食費の引き上げに対し、アチェの生活費は高く、1万7500ルピアでは十分ではないとして承認している。(TEMPO Interaktif, 05/08/08)
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by NINDJA | 2005-08-08 12:00 | その他
 8月4日、北スマトラ州メダンからバスで、ロスマウェ入りしました。飛行機で行けば35万ルピア(1円=87ルピア)、45分の距離ですが、バスだと4万ルピア、8時間かかります。とはいえ、アチェ行きのバスの出るメダンのガジャ・マダ通りに着くや否や、アチェ語しか聞こえてこない雰囲気が、「アチェに戻ってきた」と実感させてくれて、なんとも幸せな気分になります。ロスマウェ到着は夜中の1時半。皮肉なことですが、こんな時間でも移動できるようになったのは、津波の「おかげ」です。
 8月5日、6日は、この間の活動報告やら、借家の賃貸契約の更新やらに追われました。ちなみにロスマウェで借りている家の家賃は1年に500万ルピア。津波後、国際機関や外国NGOがなだれ込んだことで、家賃が月に2000万ルピアだの5000万ルピアだのになったバンダ・アチェと比べると格安です。もっとも、この家を借りたのは5年前で、ずっとこの値段のまま賃貸契約を更新しているために、家主は「年に1500万ルピアで借りるという人もいるのに」と渋い顔ですが。

c0035102_4574051.jpg 本日7日から、本格的に(?)活動を開始しました。今日は、スヌドン郡マタン・パニャン村にて、漁具の供与です。

マタン・パニャン村
ブベェ8人(各15個)/クラプ用魚網 12人

ムナサ・サゴ村
ブベェ13人(同上)/カドラ用魚網12人/カカップ用魚網1人/サウォッ・シラン4人/クラプ用魚網13人/アポロ(エビ)魚網2人

ロッ・プウク村
ブベェ8人(同上)/クラプ用魚網13人/カドラ用魚網15人

 ちなみに、これまでに漁具や塩づくり器具を提供した人数を計算したら、1721人になっていました。津波から7カ月たちますが、いまだに生活再建支援はほとんどありません。漁船の供与というのはよく聞きますが、下請け、下請け…の結果、製作費が激減し、つかえない漁船が供与されたとか、パンリマ・ラウット(海の慣習法長)にカネを払わないと漁船をもらえないとか、村長が漁民でない住民の身分証明書を集めて漁船を独占したとか、悪いうわさもついてまわっています。
 スヌドン郡の被災者たちは、一部が仮設住宅に入居し、足りなかった分は、住民が元の村に戻って掘っ立て小屋を建てています。スヌドン郡の場合、チョッ・パティサに仮設住宅が建てられ、マタン・パニャン、ムナサ・サゴ、ロッ・プウク、ウレェ・ルベック、マタン・プントン村の住民が入居しました。この5カ村が、住民いわく「仮設住宅(バラック)村」をつくり、村長、トゥンク(イスラーム指導者)など定めたようです。
c0035102_4581810.jpg 元の村に戻ってきた被災者の一人は、少しでも子どもたちが勉強し、遊べる場が必要だということで、自分の家の庭にテントを張り、幼稚園を開いていました。いまは45人の子どもたちが、無料で、ここに集まっています。遊び道具はビー玉、輪ゴムでつくった縄跳びのみ。天井も床も、避難民キャンプでつかっていたビニールシートですが、それでも子どもたちが集まれる場があるというのは大事なのだろうと思いました。
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by NINDJA | 2005-08-08 04:57 | NINDJAの救援活動