2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


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2005年 08月 19日 ( 2 )

 18日夜、国会会派指導部と、政府を代表するユスフ・カラ副大統領、ハミド・アワルディン法・人権相、ソフヤン・ジャリル通信・情報相とのあいだで会合が開かれた。この会合についての情報は当初、国会および副大統領官邸で広まったが、具体的な参加者や場所については明らかにされなかった。その後、何人かの会派指導者がその会合について認めた。
 国民信託党会派代表のアブディルラ・トハは、会合がクバヨラン・バルのダルマワンサ・ホテルで開かれ、闘争民主党会派を除くすべての国会会派が出席したと述べた。また開発統一党会派幹事のルクマン・ハキムによると、会合は、カラが招待したものではなく、インドネシア政府と自由アチェ運動(GAM)との和平合意の項目について、国会が政府の説明を求めたものであるという。招待状は携帯メッセージを通じてのみ送られた。
 いっぽう、闘争民主党会派で国会第1委員会副委員長のシダルト・ダヌスブロトは19日、議論を呼んでいる和平合意がロビー活動を通じてではなく、公開で話し合われるべきであると批判した。シダルトは、闘争民主党が会合に出席しなかったのは招待を受けなかったからだと述べている。同会派は、会合について、ヘルシンキ合意のポイントについて承認を得るためのユスフ・カラによる国会へのロビー活動ではないかと疑っているという。(detikcom, 05/08/19)
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by NINDJA | 2005-08-19 12:00 | 和平への動き
○独立記念パレード
 昨日(17日)は、インドネシア共和国の60回目の独立記念日です。津波前のロスマウェ市、北アチェ県では、もっとも緊張する時期のひとつでした。わたしの経験だけでも、99年はゼネストで店は閉まり、人も車もなくゴーストタウンのようでしたし、2000年は友人のアチェ人人権活動家が北スマトラ州メダンで誘拐されたし、2001年はゼネストと知らずにバスで移動、身動きがとれなくなってバスで一晩過ごしたし、2002年は爆弾が爆発する音を聞きながら17日を迎えた、といった具合(2003年、2004年は戒厳令のためロスマウェ、北アチェ県には入れず)。隔世の感があります。
c0035102_1564563.jpg 昨日の式典につづき、今日はパレードがおこなわれていました。幼稚園生から高校生まで、アチェ民族衣装やウェディングドレス(なぜ?)などをまとい、ロスマウェの町を行進します。国軍兵士や警察官の制服を着用している子どもも多く、複雑な心境でした。わたしが、赤いベレー帽をかぶったチビッコ国軍兵士の写真を撮っていると、周囲の人びとが「コパスス(陸軍特殊部隊)だよ」。人びとは、どう思ってみているのでしょうか。
c0035102_1573173.jpg 昨日までの煙害もなく、今日はいい天気だったことが災いして、日射病・熱射病に倒れる子どもも多いようで、時折、救急車が走ります。ロスマウェの町は歩行者天国になり、屋台が並び、まるでお祭り。さて、ここにいる人びとのどれほどが「ひとつの国家、ひとつの民族、ひとつの言語」「多様性のなかの統一」なんていうことを考え、インドネシア民族としての誇りを噛み締めているか。おそらく、ほとんどの人が、和平合意が調印され、久しぶりに平和な雰囲気で、にぎやかなお祭りを楽しめてうれしいと思っているくらいではないかしら。

○スヌドン郡の塩づくり
 パレード見物はそこそこに、活動です。まずマタン・スリメン集落に交換したランプを届け、スヌドン郡へ向かいます。今日は自分の車がありますので、高速小型乗合自動車パンターで移動するよりは楽でしたが、やはり遠い。往復4時間の道のりです。アチェ人の友人たちは睡眠(もしくは果物を食べていた)。わたしは運転手です。
 今日訪れたのは、スヌドン郡でも塩づくりをおこなっているトゥピン・クユン、東ウレェ・ルベック、マタン・ラダ村です(5月1日の活動報告を参照)。
c0035102_158271.jpg トゥピン・クユン村では、プマタン(写真)修繕の支援を要請されました。これは塩水を溜め、濾過するもので、東ウレェ・ルベック村のもの(下の写真)とは異なり、地面より高くなっています。そのせいか、トゥピン・クユン村のほうが、白いきれいな塩ができます。プマタンの半分ほどは自力で修繕したそうですが、いまだに傾いたり、つぶれたりしたプマタンも多く、そのため修繕したプマタンの周辺に集中し、一人一人の塩田が狭くなっています。
c0035102_1592254.jpg 東ウレェ・ルベック村では、価格が低いときには塩を売らずにストックしておけるよう、資本を貸し付けて欲しいと要請されました。ただ現金を支援すると、さまざまな問題も発生しそうで、ほかの方法はないものか考えています(いいアイディアがあればお寄せください)。現在、塩の価格は1kg1200ルピア(約13円)と激安です。だいたい1日に15~20kgつくれます。スヌドン郡の場合、天日干しではなく、塩水を煮込んで塩をつくるのですが、その燃料となる薪がトラック1台12万ルピア。ビルン県では天日干しで塩をつくっているそうですが、ドラム缶1缶で3000ルピア程度とさらに安くなってしまいます。薪以外の燃料も難しいようです。たとえば炭だと火力が弱すぎるし、灯油やガスは高くて購入できないからです。
c0035102_20272.jpg わたしが訪れた3、5月の時点では、マタン・ラダ村の5世帯が、東ウレェ・ルベック村の塩田で塩づくりをしていましたが、いまは少し内陸に入ったところに移っていました。以前は塩がなかったのに、津波後ためしてみたら塩がとれるようになったらしいのです。もともと塩づくりをおこなっていた5世帯だけでなく、津波後、ほかに生計手段がなく、どうしていいかわからない約20世帯が塩づくりに参加するようになっていました。しかし塩水を煮込むための「台所」と呼ばれる掘っ立て小屋も、塩づくりに必要な器具もありません。野外で塩水を煮込むため雨の日は作業できませんし、器具も東ウレェ・ルベック村の人びとが津波以前からもっていたものを借り、1つを数世帯でつかいまわしている状態です。せめて、ほかの世帯に支援したような器具一式と、掘っ立て小屋の屋根を葺くルンビアの葉だけでも支援したいと考えています。
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by NINDJA | 2005-08-19 01:59 | NINDJAの救援活動