2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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カテゴリ:NINDJAの救援活動( 73 )

c0035102_1444155.jpg○北アチェ県避難民キャンプに物資供与
 インドネシア民主化支援ネットワークは4日、北スマトラ州メダンからバスでロスマウェ市に入りました。地元NGOと話し合い、はじめの1週間ほどは、北アチェ県、ロスマウェ市にある避難民キャンプをまわり、避難民のニーズを聞いたり、避難民数や被災状況を確認したりすることになりました。その後、短・中・長期的にどのような支援が必要かを、避難民、地元NGOと話し合ったうえで決定する予定です。
 5日は、まずチュッ・ムティア病院の避難民キャンプを訪れました。ただ避難民のニーズや数を確認するだけでは申し訳ないのと、ニーズや数が確認できていない状況だったため、ほかの援助物資と重ならないと思われる物資を少しだけ運びました。以下、チュッ・ムティア病院の避難民の状況と届けた物資についてご報告します。

○チュッ・ムティア病院の避難民(ブラン・マンガット郡3カ村)について
c0035102_1452083.jpg1. ジャンボ・メスジッド(Jambo Mesjid)村
・津波によって28人が死亡した。生き残った132世帯535人が避難している。
・井戸はなく、付近の村の井戸をつかわせてもらっている。マンディ(水浴)場、トイレは3カ所ずつしかない。
・とくに必要なのは、バケツ、飲料水、蚊帳。
・マラリア、痒み、下痢、咳、嘔吐などの症状が出ている。
・住民は漁師だが、舟を流され、また海に行くことにトラウマもあるため、漁には出ていない。
・津波に襲われた村も訪れたが、ほとんど家は残っておらず、エビ・魚の養殖池も全滅。

c0035102_1461751.jpg2. クアラ(Kuala)村
・津波によって4人が死亡した。生き残った182世帯のうち134世帯602人がチュッ・ムティア病院に、48世帯220人がブラン・マンガット刑務所に避難している。
・30%の家が完全に倒壊した。半壊したのも含めると70%くらいが被害を受けている。
・ロスマウェ市政府から1回援助を受けただけ。
・現在、住民たちは赤十字国際委員会(ICRC)から与えられたビニールシートをつかい、自分たちでテントを建設している。
・80艘程度あった舟のうち残ったのは15以下。
c0035102_1471822.jpg・トイレは1カ所だけ。野外に小便用トイレをつくっているが、1m程度の高さのビニールシートで囲っただけ。女性もこのトイレを使用する。
・共用の台所があるが、コンロは1つしかない。

3. ブラン・チュッ(Blang Cut)村
・250世帯1100人のうち、とくに家を失った22世帯103人が避難している。
・村に戻った人びとも、舟が波で流されたため、仕事はない。避難民もすることがなく、ただぼんやりしているだけ。
・とくに必要なのは、コメ、食用油、灯油、蚊帳。コンロは各自もっている。
・村に戻りたいが、家を建てる資金がない。

4. 運んだ物資
 以下、ジャンボ・メスジッド村に4分の1、クアラ村に2分の1、ブラン・チュッ村に4分の1を配分しました。
・キャンディ 40袋
・クラッカー 192袋(16ダース)
・ビスケット 96袋(8ダース)
・子ども用ミルク 192個(16ダース)
・生理用ナプキン 200袋
・石けん 288個(24ダース)
・洗剤 400個
・歯磨き粉 400個

合計 364万6000ルピア=4万1432円(1円=88ルピア)
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by NINDJA | 2005-02-06 02:22 | NINDJAの救援活動

●北アチェ県で活動予定

 アチェやジャカルタのNGOの友人たちと相談し、北アチェ県の被災者への支援をおこなうことにしました。4日には、北スマトラ州メダンでアチェ入域許可証を取得し、陸路で北アチェ県ロスマウェに向かう予定です。
 北アチェ県を選んだ理由は、
・これまでニンジャが活動(女性支援)をおこなってきた地域であり、地元NGOや住民たちと信頼関係を築いている
・北アチェ県は、天然ガスやエビなどを日本に輸出しており、わたしたちの生活とも密接な関係にある
・北アチェ県は自由アチェ運動(GAM)の勢力が強い地域であり、インドネシア軍から「GAMメンバーである」「GAM支持者である」と非難されて、援助物資を与えられない地震・津波被災者が多数存在する
ためです。
 現時点では、みなさまからいただいた義捐金で、
・避難民キャンプでの青空教室(教師を雇う、学用品の供与など)
・家計を立て直すための支援(漁具・魚網の供与、女性の職業訓練など)
・学校建設(費用を調査中)
などの活動をおこなうことを計画しています。
 仮に外国人の規制が厳しくなった場合のために、長く協力関係にある地元 NGOがプログラムを実施していけるような基盤づくりもおこないます。

 地震・津波以前から、紛争避難民に対する支援活動をおこなってきたPCC(ピープル・クライシス・センター)によれば、現在、北アチェ県・ロスマウェ市では2万5000人以上の避難民が発生しています。
・ムアラ・バトゥ郡(チョッ・スラニ村、ルルット村、バユ・サッカー場、グドン・モスクなど):4871人
・ロスコン郡:不明
・パントン・ラブ郡(学校、いちば近くの広場など):不明
・ロスマウェ市内(ヒラク広場、職業訓練校、チュッ・ムティア病院など): 2万2029人

 地元NGOのJariからは、つぎのように伝えられています。

タナ・パシールの避難民について
 地震・津波の30分後、時速300km、高さ10mの津波に襲われ、タナ・パシール郡は壊滅した。海沿いにあったクアラ・クルト村(190世帯、700人)、マタン・バロー村(111世帯、600人)、マタン・トゥノン村、クアラ・チャンコイ村(530世帯、1620人)、クデ・ラパン村(83世帯、400人)の 5村の住民は、メダン=バンダ・アチェ幹線道路からさらに内陸に入ったところに避難している。マタン・バロー村、クアラ・チャンコイ村の住民は、当初、ロスコン郡のサッカー場に 20日間避難していたが、現在はタナ・パシール郡に戻り、ほかの村の住民に合流している。マタン・トゥノン村の住民は、それほど倒壊がひどくなかったため、数週間でそれぞれの家に戻った。
 現在、とくに必要とされている物資は以下のとおり。
・幼稚園から高校までの制服、靴、靴下、学生カバンなど学用品
・子どもや食糧の足りない大人のための軽食(パンなど)
・コーランなどイスラームの勉強のための道具
・女性、子どもの祈祷のための道具
・医薬品とビタミン剤(子どもも大人も痒みを発症している)
・世帯ごとのコンロ(建設された共用台所では料理に時間がかかりすぎる)
 避難民の日々の活動は、漁に出る、塩をつくる、ゴザを編む、魚網をつくる、田んぼを耕すなど。これらの仕事を、女性たちもおこなっていた。現在、住民は生計を得る手段を失い、ゼロからはじめなくてはならなくなった。現在、彼らは生活を立て直すための資本を必要としている。
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by NINDJA | 2005-02-02 14:05 | NINDJAの救援活動

●活動予定

 1月末にジャカルタ入り、2月はじめに北スマトラ州メダンに向かいます。ジャカルタとメダンで、アチェで支援をおこなっているインドネシアのNGOと、必要な援助や地域について調整をおこなったうえで、2月5日までにアチェ入りする予定です。
 現時点での要請は以下のとおり。
<緊急救援活動>
西海岸沿いで援助を届けるのが困難であり、海外からの援助もあまり来ていない地域での支援要請があります。西アチェ県ムラボーは、かなり援助が流れ込んでおり、むしろアチェ・ジャヤ県で緊急救援が必要とされています。
<復興支援活動>
同じく津波の被害を受け、2500人を超す死者の発生した北アチェ県は、天然ガスやエビを通じて、日本とのかかわりも深い地域で、これまでNINDJAが中心的に活動をおこなってきた場所でもあります。西海岸沿いほど全体的に壊滅状態になったわけではない北アチェ県では、緊急救援より、今後自立した生活を送っていくための生計を立てる手段に対する支援(漁具・漁船支援、教育支援など)が求められています。
 インドネシア政府は、外国の援助機関・NGOの活動地域をバンダ・アチェ周辺とムラボー周辺に限定すると発表していますが、現在それ以外の地域における外国による支援が確認されています。規制について有名無実なのか、何らかの許可を取ったうえで活動されているのか、インドネシア政府・軍のあいだでも発表内容に違いがあり、現場に行かなくてはわからないことも多々あります。2月はじめにインドネシアのNGOとの調整をおこなう際、規制についても情報収集し、NINDJAがどのような支援をおこなうか決定します。
 NINDJAはアチェで長く活動してきたことから、緊急救援段階が終わり、国際社会がアチェへの関心を薄めたあとも引き続き活動をつづけていく団体として、アチェのNGOから期待されています。大きな援助機関・NGOとは違い、小さなことしかできませんが、その分、援助の届かない地域を重点にする、被災者のニーズをもっとも理解しているアチェのNGOを主体とした活動をおこなう、などNINDJAなりの支援活動をおこないます。
 2月以降の活動について、可能な限り(つまりネットに接続できる限り)このブログでもお伝えしてまいります。よろしくご支援賜りたくお願いいたします。
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by NINDJA | 2005-01-27 11:51 | NINDJAの救援活動