2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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 3月28日深夜(日本時間29日未明)、スマトラ沖で再び地震が発生しました。ニンジャが支援活動をおこなっている北アチェ県での様子について、地元のNGOから連絡が入りましたので、ご報告させていただきます。

○月曜日の夜、アチェは再び強い地震に見舞われました。そのため、住民はみな「アッラー・アクバル」と叫びながら、外に逃げました。地震は5分ほどつづきました。みな、まだ地震の発生を心配しています。

c0035102_20573588.jpg○スマトラ・ニアス島を震源とする地震が起き、わたしたち全員、家から出ました。ロスマウェの人びとは、より高いところを求めてチュンダ地区に逃げました。モスクやヒラク広場に逃げた人もいます。ロスマウェでは死者は出ていません。
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by NINDJA | 2005-03-30 20:57 | その他
 インドネシアのスマトラ島沖で起きた地震で、震源に近い島ではインドネシア軍や国連機関などによる救援活動が少しずつ始まっているが、依然、多くの人が地震で崩れた建物の下に閉じ込められており、住民による手作業での救出活動が続いている。日本時間の29日未明に起きたスマトラ島沖を震源とする地震では、震源地に近いニアス島でこれまでに300人以上が死亡したほか、ニアス島の北のシムル島でも17人が死亡し、さらにスマトラ島側のアチェ州の町、シンキルでも11人の死亡が確認されている。
 ニアス島には、29日夜から30日にかけてWFP(世界食糧計画)など国連機関の救援チームやインドネシア軍の艦船が到着し、救援物資を届けたり、けが人を手当をするなどの救援活動が少しずつはじまっているが、橋や道路が寸断されているため、救援チームは、被災地になかなかたどりつけずにいる。
 現地では、地震で崩れた建物の下に、依然、多くの人が閉じ込められており、住民達は積み重なったがれきのすき間から生存者を探し、のこぎりなどをつかっての手作業で、懸命の救出活動を続けている。
 また、多くの住民が家を失って屋外のテントなどで過ごしているが、水や食糧が不足しているため、物資がとりあいになったり、商店から食料が奪われたりしているという情報もあり、被災地に救援物資を行き渡らせることが緊急の課題となっている。
 いっぽう、病院も被害を受け、医療設備が使えなくなっていることからけがの程度の重い人は国連のヘリコプターなどで対岸の病院に移送しているが、ヘリコプターの数も足りない状況だという。
 こうした中、IOM(国際移住機関)など国連の各機関は、テントや食料、それに、消毒液や包帯などの医薬品を船で輸送しているが、ニアス島に到着するまでにはまだかなりの時間がかかる見通しである。(NHK, 05/03/30)
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by NINDJA | 2005-03-30 12:00 | 被災状況
 インドネシア外務省は、自由アチェ運動(GAM)助言役のダミエン・キングスベリーがインドネシアに入国したことを知らず、またインドネシア滞在中の同氏の活動も知らなかった。このことは、外務省報道官のマルティ・ナタレガワが27日、本紙の取材に対して明らかにした。
 本紙の情報によれば、GAM助言役で、オーストラリアのディーキン大学教員でもあるダミエン・キングスベリーは22日、ジャカルタに到着したという。同氏は、ジャカルタでの2日間の滞在期間中、宿泊先のヒルトン・ホテルでユスフ・カラ副大統領に会ったと言われている。(Media Indonesia, 05/03/28)
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by NINDJA | 2005-03-27 12:00 | 和平への動き
○クアラ・クルト村のプカット・ソロン
 いよいよアチェ最終日である。早起きして6時には家を出発、クアラ・クルト村のプカット・ソロンを見に行った。20カ村近く支援してきたなかで、もっとも印象深い村の一つである。
 クアラ・クルト村は、「災難」つづきの村だ。津波で家がすべて破壊され、191世帯が避難生活を送る。1月25日、6人の男性がGAMに関与しているとして、タナ・パシール軍分支部(Koramil)兵士に逮捕された。Koramil兵士はさらに、クアラ・クルト村の別の住民19人(つぎに話を聞いたときは12人)がGAMに関与しているとして、投降するよう警告を与えたという。なぜ投降(出頭)しなくてはならないのかわからない住民は、それでも夜「誘拐」されるよりはマシだと出頭した。いまは、週1度の出頭義務を課せられているらしい。
 さらに2月10日には、援助物資のインスタントラーメンが原因で、200人以上が食中毒になり、病院に運ばれた。タナ・パシール郡の避難キャンプは、郡役場、Koramil、郡警の三者が管理している。キャンプを訪問する人は、キャンプ内に設置された郡役場の「救援ポスト」で許可を取る必要がある。実は、この救援ポストが厄介な代物で、かなりの援助物資を隠匿してしまっていると伝えられている。被災者がどれだけ要求しても「ない」と言われつづけたミルクも、食中毒になって、嘔吐用にはじめて何箱も与えられた。被災者は、もちろん、「いまさらミルクをもらっても……」と嘆いていた。
 この救援ポストは、わざわざマグリブ中に、援助物資を受け取るよう呼び出しをかけて、問題になっている。マグリブというのは、イスラームで4回目、日没の礼拝のことである。北アチェ県・ロスマウェ市一帯では、人びとは外出を避け、家のなかで静かにマグリブの時間を迎える。被災者たちは、「あちらでも、こちらでも、モスクから『アッラー・アクバル』と聞こえてくるのに、キャンプでは『ハロー、ハロー』と呼び出しだ。しかも祈祷していて、物資を取りに行かないと、物資をもらえないんだ」と怒りをあらわにする。さらに、この呼び出し用スピーカーでは、未明に「キャンプを片付けろ。お前ら、豚のようだ」といった侮辱的な放送までされた。
 堪えきれなくなった被災者たちは、3月12日、キャンプを出て、クアラ・クルト村に戻った。キャンプに残った被災者たちも緊張し、女性たちが男性たちを囲うようにして、つまり男性たちが「誘拐」されないようにして、夜を過ごしたという。13日、クアラ・クルト村周辺は緊迫していた。わたし自身も、2度も国軍兵士に止められ、村に行く目的など説明させられた。北アチェ県知事からの活動に対する推薦状がなければ、村には行くことができなかっただろう。荷物をまとめて、トラックを借りて、村に戻ろうとする人びとが、国軍詰所の前で止められ、全員引き返させられている。12日のうちに村に入った人びとと、キャンプに残った人びとと、バラバラにさせられてしまった。
c0035102_244418.jpg 最終的には、全員がキャンプに戻ったが、「キャンプに戻れば、国軍に誘拐される」と数晩、被災者たちが転々としている様子は、地震・津波後も、実は好転していない人権状況をうかがわせるのに十分だった。
 そのクアラ・クルト村の人びとが、現在、未明の3時にキャンプを出発して、2時間もかけて村まで歩き、朝5時から8時近くまでの干潮の時間を利用して、プカット・ソロンに励んでいる。c0035102_25610.jpg写真で、3人並んだ男性は、みな津波で妻を失ったという。それでも、彼らは海に戻っている。家もなく、人も住んでいない村に、エビの仲買人も戻ってきていた。

○西バクティア郡への支援
 実は、これまでまったく情報が入らず、支援対象から抜け落ちていたのが西バクティア郡である。スヌドン郡とタナ・パシール郡のあいだに位置し、海に面している地域は非常に少ないが、その地域は完全に破壊されていた。しかし世帯数が少ないせいか、「危険地域」のせいか、つい数日前まで、ここで支援を求めている被災者がいると知らなかった。
 タナ・パシール郡から、そのまま西バクティア郡に向かったが、途中、海兵隊に止められ、追い返されてしまう。北アチェ県知事からの手紙があったため、非常に丁寧な応対ではあったが、「昨日も武力衝突がありましたので」と言われてしまった。
c0035102_274541.jpg かなりの遠回りをして、西バクティア郡ロッ・インチン村にやっとたどり着く。タナ・パシール郡クアラ・チャンコイ村(ここもサウォッの支援した村、なんと女性たちがプカット・ソロンする!)と分ける川の橋が落ち、そのままになっている。筏で渡らなくてはならない。
 被災者と話をしていると、近くにある海兵隊詰所から、すぐ兵士がやってくる。「何をしているんだ?」と、非常に強圧的な態度。被災者が動揺して、「このあたりの状況を見てもらっているんです」と説明する。わたしが、おもむろに北アチェ県知事からの手紙を取り出し、兵士に渡す。兵士は、もはや何も口を出せなくなってしまい、手紙を返して、引き上げていった。被災者のおじさんたち、わたしを見ながら「魔法の手紙」とうれしそうである。
c0035102_275543.jpg 西バクティア郡には、やはり外国からの援助がまったくないらしい。わたしが、はじめての外国人だという。政府からの援助も、最初の2週間だけ。ここには、物資を運んでくる必要もありそうだ。プカット・ソロンする人がいないというので、養殖池に仕掛けるカニとりカゴ(ブゥベェ)の支援をすることにする。

○今後の活動について会議
 次回は、ゴールデンウィークを利用して、アチェに戻ってくるつもりだが、1カ月のお別れになる。もしかしたら、軍事戒厳令のときのように、2年間戻れないということもあるかもしれない。
 わたしがいないあいだの活動の進め方について、友人たちと話し合いをする。BCA銀行同士の口座なら、インターネットバンキングでの振込ができるため、当面は電子メールで連絡を取り合いながら、必要に応じて経費を振り込んでいくことになった。
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by NINDJA | 2005-03-27 01:40 | NINDJAの救援活動
 国連難民高等弁務官(UNHCR)事務所は、ナングロー・アチェ・ダルサラム州での救援活動を26日で打ち切ると発表した。UNHCRは半年間の支援活動をおこなう予定であったが、インドネシア政府が活動継続に同意せず打ち切りとなった。これまでテントや調理道具の支給をおこなってきた。しかし各国から寄せられた4000万ドルのうち3000万ドル以上がつかわれないままに残った。(Asahi, 05/03/26)
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by NINDJA | 2005-03-26 12:00 | 外国軍・援助機関の規制
 アチェを拠点とするいくつかの女性団体は、大規模な津波によって家を失ったアチェ州の女性たちが、収容施設で性的いやがらせの危険に直面していると訴えている。26日にオクスファムが発表した統計によると、男性の生存者数は女性の生存者数をはるかに上回り、男性1人の死亡に対し、女性4人が死亡している村もある。
 アチェ・ジェンダー・トランスフォーメーション・ワーキング・グループの代表ミア・エムサは、「通常女性に対する性的虐待はバスルームに行かなければならないときに起こる」と説明した。ほとんどのキャンプのバスルームは男女の区別がなく、若い男たちは時間をつぶすためバスルームの近くでぶらぶらしている。エムサは女性活動家との会合で「女性専用のバスルームがあるキャンプでは、のぞき穴がある」と語った。
 女性活動家らは、キャンプの女性たちから裸にされたり、レイプされたりしたケースを数多く聞いたが、それらを確認するのは不可能だったと語った。アチェ女性連帯の代表ワンティ・マウリダールは、「地域の長老に女性避難者がレイプされたというケースをたずねても、それは両者の合意にもとづいた行為だった、という答えが返ってくるだけだった」と語った。
 ほとんどのキャンプでは、男女が同じテントのなかで寝起きしており、何のプロテクションも施されていない。レイプ事件が起きると、被害者の女性は人びとの口にのぼらないように、遠くへやられる。
 ラムセニア村から避難民生活を夫とともに送っているスラスミは、「夫とわたしにとって、ここでの生活が居心地よくありません。ここの男性生存者の多くは妻を失っているからです」と言っている。オクスファムの調査によると、ラムセニア村の人口220人のうち生存者は124人で、そのうち女性生存者は26人しかいない。(Reuters, 05/03/26)
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by NINDJA | 2005-03-26 12:00 | 被災状況
○北アチェ県知事、ロスマウェ市長からの活動許可取得

 この間、あとから追加で要請のあったサウォッの供与をしており、大きな進展はなかったため、長らく活動報告を送れませんでした。
 また、3月26日以降、アチェで活動する外国援助機関・NGOが規制されるため、北アチェ県、ロスマウェ市での活動を継続するための手続きをおこなっていました。活動期限が延びたという報道が流されたと思うと、いっぽうでビザ延長ができなかったという情報が入り、どういう手続きを踏めばいいのか、さっぱりわかりません。また、なまじバンダ・アチェで登録すると、何で北アチェ県という危険な地域で活動するのだ?といわれそうで、けっきょく、直接、北アチェ県知事、ロスマウェ市長からの許可をもらったのでした。

○スヌドン郡塩田の調査

 サウォッの供与も、だいたいのめどがつきつつあり、今日はスヌドン郡での調査をおこないました。スヌドン郡では、避難民が海兵隊に殴られるといった事件がいまも起きています。津波支援を通じて、避難民が人権侵害に直面したとき、訴えられる場をつくっておきたいという思いもあります(タナ・パシール郡については、そういう状況になっています)。ただ、この地域では、プカット・ソロンする人がいません。そのため、どのような支援が適当か、ずっと友人たちと議
論してきました。
c0035102_2121970.jpg スヌドン郡では、女性たちが塩づくりをしています。津波で、塩づくりするための「台所」や道具が流されたり、破壊されたりしました。女性たちは、すでに、自分たちで掘っ立て小屋を建て、塩づくりを再開していました。ただし、つかっている道具も、津波の被害を受けたもの。たとえば煮立てた塩をすくうために、お皿に穴を開け、棒をつけたものをつかっています。スコップや鍬も、同じく間に合わせのものです。
 現時点で、マタン・ラダ村、東ウレェ・ルベック村、トゥピン・クユン村の女性たちが塩づくりを再開しており、この3カ村に対して、塩づくりの道具を供与することになりました。

○ミニ・サウォッのプレゼント

c0035102_2132522.jpg その後、サムドゥラ郡に向かいました。まずブラン・ニボン村にプカット・ソロン用の靴を届けます。ここでの責任者イドゥリスさんが、わたしが日本にもって帰れるように、と小さなサウォッ・サベェを作成してくれていました。かなりカワイイ。27日(日)に帰国すること、4月末にアチェに戻ってくるつもりだということを伝えると、「それこそ、自分たちの望みだ」と言ってくれました。とにかく、外国の目がなくなることを、アチェの人びとは恐れています。
 つぎにサムドゥラ郡のサウォッ・サベェ作成を、かなり一手に引き受けてくれているワリディンさん(サワン村)に帰国のあいさつです。人びとがサウォッを取りに来るときに渡してもらえるよう、靴を預けました。

○ハンセン病の集落への支援

 最後に、サムドゥラ郡クタ・クルン村マタン・スリメン集落の人びとを訪問しました。マタン・スリメン集落は、わたしが確認できた北アチェ県海岸沿いにある二つの「ハンセン病患者の村」のうちの一つです。クタ・クルン村のほかの人たちが入っている仮設住宅に、マタン・スリメン集落の人びとは入ることができませんでした。
 津波が来たとき、逃げることができなかった重度の患者は、木の下で祈りの言葉を唱えながら最期のときを迎えたといいます。ほかの人びとは、死者の清拭をしたがらず、トゥンク(イスラーム指導者)がおこなったとも聞きました。
 ブラン・ニボン村のイドゥリスさんや、グドンでサウォッ材料を買い付けている店ファジャル・ラウットのおじさんから、マタン・スリメン集落の人びともプカット・ソロンしていたこと、なかには店で借金してサウォッを買った人もいると聞き、ここでもサウォッの支援をできるのではないか、と考えています。
 サウォッ・サベェ、サウォッ・シランのどちらを希望するか、それぞれの被災者のデータをもってきてもらうことになりました。
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by NINDJA | 2005-03-25 01:27 | NINDJAの救援活動
 アルウィ・シハブ国民福祉担当調整相は21日、緊急支援期間の終了する3月26日以降、政府はアチェ州で活動する外国のNGOを制限する予定であることを明らかにした。海外のNGOはアンケート記入のための、30日間の時間を与えられる。そのアンケートは、復興、再建のために引き続きアチェで活動できるNGOを選別するためのものである。(detikcom, 05/03/21)
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by NINDJA | 2005-03-21 12:00 | 外国軍・援助機関の規制
 現在まで、政府は、緊急段階が終了する3月26日以降の外国人ボランティア、NGOのアチェでの活動許可について、確実なところを明らかにしていない。現在、アチェでは、少なくとも380のNGOから1556人のボランティアが活動している。
 外務省救援ポスト・コーディネーターは17日、緊急段階が終われば、外国人のアチェ入域について、津波以前の非常事態時と同様の適用になると明らかにした。しかし、この問題に関連する規則はまだできていない。(Kompas, 05/03/18)
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by NINDJA | 2005-03-18 12:00 | 外国軍・援助機関の規制
 インドネシア政府は17日、アチェの復興段階において、現地で救援活動をおこなっているすべての海外人道的支援機関の活動期間を60日間延長することを明らかにした。
 アルウィ・シハブ国民福祉担当調整相は、この延期によって、政府が異なる人道主義的組織の活動をまとめ、その連携を強めるのに役立つと期待していると述べている。これは、組織間の活動重複を避け、また財政的支援が適切につかわれるためにより高いレベルの連携を必要としているからだという。
 政府は、復興支援に該当しない海外の援助団体は3月26日に退去するよう明確な期限を設けた。アルウィは、外国の軍隊はビザが有効な限り、また政府からその地域で人道支援をおこなう特別な要請があった場合は、3月26日を過ぎても滞在できると述べた。アチェで、いまも人道支援をおこなっている外国部隊は一部である。
 外務省は、ビザなどの手続きについて、準備を進めている。詳細は3月26日以降に発表される。アチェでは現在、UNICEFのような大きな国連機関から小さい宗教的奉仕活動をおこなっているグループまでおよそ160の救援団体が活動している。(Jakarta Post, 05/03/18)
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by NINDJA | 2005-03-18 12:00 | 外国軍・援助機関の規制