2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


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 インドネシア法律人権擁護協会(PBHI)研究員ヘンリ・シマルマタは14日、アチェの非常事態を解除すると、政府が言明しているにもかかわらず、国軍が撤退しないのは政府の失敗であるとの疑義を呈した。非常事態の解除は、本来アチェ人が国軍ではなく、警察によって正常な市民生活に戻ることを意味するものであるにも関わらず、国軍が駐屯し続けることになるのは、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領が国軍をコントロールできないからだという。
 国軍は、アチェだけで3万9000人の人員を駐在させており、これはインドネシア国軍全人員の15%にあたる。ヘンリは、アチェで非常事態が解除され、正常な市民生活に戻れば、復旧・復興がより円滑におこなわれ、またヘルシンキでの和平交渉もうまくいくことになると述べている。(Jakarta Post, 05/05/14)
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by NINDJA | 2005-05-14 12:00 | 軍事作戦・人権侵害
 法律擁護協会(LBH)アチェ支部代表ルフィアディは、アチェ・ニアス復興庁(BRR)が最大限の職務をおこなうことができないとの懸念を投げかけた。アチェでは、非常事態が、BRPの職務を妨げるという。
 ルフィアディによると、アチェの復興はその経過をモニターするために当地の住民を参加させたものでなくてはならず、それは人びとが恐怖を抱いた状態ではなく、落ち着いた雰囲気のなかでおこなわれなくてはならないという。「現在までのところ、国家予算からの資金や海外からの援助について盛んに話がなされているが、われわれはそのことについてまだ知らない。現在われわれが言えるのは、それらの資金がまだ現場に下りてきていないということだ。3カ月間の緊急支援期間、それらの資金の流れがどうなっていたのか、まったく知らない」
 またルファイディは、非常事態を維持したままでのアチェの復興は困難であると述べた。(Sinar Harapan, 05/05/10)
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by NINDJA | 2005-05-10 12:00 | 軍事作戦・人権侵害
 アチェ復興庁長官クントロ・マンクスブロト(元鉱業・エネルギー相)はロイター通信に対し、8日、アチェの非常事態は延長されないだろうと述べた。これは自由アチェ運動(GAM)との第44回目の和平協議が5月26日~28日にヘルシンキで予定されていることで、和平攻勢を強めるインドネシア政府の意志であるかもしれない。クントロはこれ以上のことは明らかにしていない。(Jakarta Post, 05/05/08)
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by NINDJA | 2005-05-08 12:00 | 軍事作戦・人権侵害
 米国務次官ロバート・ズーリックは8日、アチェ西海岸の2.45億ドルの道路建設プロジェクトを調印した。これは津波後初の巨大プロジェクトである。この249kmのバンダ・アチェとムラボーを結ぶ高速道路は、津波でほとんど流失した道路のあとに建設されるものである。(Jakarta Post, 05/05/08)
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by NINDJA | 2005-05-08 12:00 | 外国軍・援助機関の活動
○クアラ・チャンコイ村を訪問

 今日が最後の日になります。この間、日本に戻っても、すぐアチェに戻る予定があったのですが、次回来られるのは夏休み。はるか先です。軍事戒厳令のときのトラウマが強く、いつアチェに戻れなくなるか不安でたまりません。午前中は、友人たちとこれまでの活動について、村ごとに確認、見直しました。
 午後、北アチェ県・ロスマウェ市は大雨です。ただ前から予定していましたし、最終日でもあるので、タナ・パシール郡クアラ・チャンコイ村を訪問しました。女性がプカット・ソロンする珍しい村です。
c0035102_4282735.jpg タナ・パシール郡の場合も、人びとは仮設住宅を拒否していたのですが、ドイツの団体から、元の村に家を支援されることが決まり、一時的にマタン・トゥノン村の仮設住宅に移動しました。しかしクアラ・チャンコイ村の人びとは、仮設住宅が足りず、くじ引きをしなくてはなりませんでした。くじに外れた人びとが、村に戻って、掘っ立て小屋を建てて生活をはじめています。ただ、ほかの村々と違って、ロスコン郡に避難していたためなのか、家の支援を受けられる予定はないとか。
 この間、北アチェ県・ロスマウェ市の海岸地域を東から西まで支援しましたが、援助が集中している地域と、そうでない地域との格差を感じます。たとえば漁船や家など、額の大きな支援の場合、とくに全体に網羅されていないようです。
 いまは西風の季節で、エビ漁(プカット・ソロン)からの収入は少なくなっています。ただ、わたしたちの支援のなかで、ジャラ(投網)を選択した人たちは、いまも川で魚を獲ることができているようです。今回、さらにサウォッ・シラン(プカット・ソロン用漁具)、ジャラの追加支援を要請されました。

○西バクティア郡を訪問

 クアラ・チャンコイ村でマンゴをもらって(いつも被災者からエビだのカニだのイカだのマンゴだの渡されるのです!)、西バクティア郡に向かいました。
 クアラ・チャンコイ村はタナ・パシール郡でも東にあり、西バクティア郡と川を挟んで隣り合っています。村から村に直接行くのがもっとも早いのですが、3月末には、途中で海兵隊に止められ、通行を許されませんでした(いわく武力衝突があったとか)。そのため、クアラ・チャンコイ村から一度幹線道路に戻り、また幹線道路から1時間ほど海のほうに入らなくてはならず、ひどく遠く感じました。
 今日は、時間もなかったので、幹線道路に戻ることなく、そのまま村に直行です。ただし川の橋が、津波で流されてしまっているため、途中でクルマを降り、川を艀で渡らなくてはなりません。そのあと雨のなか、村まで歩いていきました。
 5月3日の報告で流しましたが、漁具の材料を支援し、すでに製作がはじまったので、村の人たちに見に来てもらいたいと言われたのです。西バクティア郡の被災者は、まったく外部からの援助を受けていないため、わたしたちの小さな支援でも、過大に感謝してくれ、面映いばかりです。
c0035102_429044.jpg 雨で停電していましたが、ハグ村のあちらこちらの家で、アンベ、ジャラを製作しているところを案内されました。ブベェについては、ブランデ・パヤ村に行かなくてはならず、帰りの時間が気になったため、村の人たちには、「明日帰るのであれば、なんとか見てもらいたい」と言ってもらったのですが、「8月に戻ったときに、漁に出ているところを見せてもらいます」と遠慮させてもらいました。
 本当に8月に戻って、みなさんが漁に出ているところを見たいものです。
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by NINDJA | 2005-05-08 04:25 | NINDJAの救援活動
○西クアラ・クルト村を訪問

 5月2日に漁具の材料を支援したタナ・パシール郡西クアラ・クルト村を訪問しました。サムドゥラ郡クタ・クルン村マタン・スリメン集落と同じく、ハンセン病患者の村です。
 同じ津波被災者同士なのに、こういう話を聞くのは本当にイヤなのですが、以前、東クアラ・クルト村の人たちと話していたとき、「クアラ・クルト村は一つだけだ。東クアラ・クルト村なんていうのはない。あるのはクアラ・クルト村とハンセン(こちらではレプラと呼ばれている)村だけだ」と言われたことがあります。
 北アチェ県・ロスマウェ市の村々をほぼ全部網羅した時点で、今後の支援のあり方を考えなくてはならないと思っていましたが、2月から村々を歩いていて、やはり、より差別されている村、より援助物資が届かない村、より貧しい村を重点的に支援していこうと、友人たちと話し合いました。西クアラ・クルト村は、その一つになります。
c0035102_3594166.jpg 友人のオートバイに乗って、サムドゥラ郡の津波被災村を横断して、村に向かいました。途中、サムドゥラ郡ブリンギン村で、政府が建設した仮設住宅を通り過ぎました。サムドゥラ郡の人びとは、みな仮設住宅を拒否、津波で破壊された家の残骸を拾って、自分で家を建てることを選択しました。そのため広大な仮設住宅は、いま誰にもつかわれないままになっています。
 2月はじめの段階で、すでに仮設住宅拒否の声は上がっていたにも関わらず、政府は建設をつづけました。その結果がこれです。これぞおカネの無駄づかい。いっぽうで、援助物資が届かない村々があるというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
 さて、西クアラ・クルト村で、なによりも印象深かったのが、写真のマルズキさんです。
c0035102_401259.jpg マルズキさんは、夫婦ともにハンセン病に罹っています。右足と両手の指を失っていますが、これまでガソリンや灯油を販売する仕事をしていました。しかし津波で、家もドラム缶も、そして義足も流されました。いまは韓国の団体から支援された松葉杖を突き、背中にタバコを入れた小さなリュックを背負っています。海から戻ってきた漁師が、マルズキさんからタバコを1本、2本と買い、リュックにおカネを入れていくのです。またサムドゥラ郡役場所在地であるグドンから灯油のドラム缶を1缶預かり、販売を代行しています。
 マルズキさんのいまの悩みは、家のことです。現在、49世帯のうち13世帯が村に戻ったのですが、マルズキさんはまだ家の柱しか建てられていません。屋根がないため、いまは息子とともに、ムナサ(村の祈祷所)で暮らしています。ただ高床式のため、不自由な足で上り下りしなくてはならないのです。そのため、マルズキさんの妻は耐えられない、とキャンプに戻ってしまいました。
 川魚なら獲ることができるというので、マルズキさんには、すでに川魚用の漁網を支援していますが、屋根用のルンビアの葉も支援することにしました。また津波前は、義足があり、自転車にも乗ることができていたという話なので、なんとか義足を支援できないか、友人たちに調べてもらうことにもなりました。ただし、これはまだマルズキさんには内緒です。
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by NINDJA | 2005-05-07 03:58 | NINDJAの救援活動

●北アチェ県で銃撃戦

 6日朝9時、北アチェ県スヌドン郡ウレェ・ティティ・マタン・アノー村で、自由アチェ運動(GAM)との銃撃戦が起き、海兵隊2等兵のジュマリオが銃撃で死亡し、海兵隊軍曹長のヨハネスが銃撃で負傷した。
 GAM側では、この事件でリムンとタイラン(いずれも仮名)の2名が死亡し、ブリス(仮名)1名が銃撃で負傷した。またGAMメンバーの1人は逃走したと報告されている。
 国軍作戦副司令官のスロヨ・ギノ准将は、ジュマリオの戦死は、治安の妨害から住民を守るために最大限の作戦の職務を遂行した際に起きたものだったと語った。(TEMPO Interaktif, 05/05/06)
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by NINDJA | 2005-05-06 12:00 | 軍事作戦・人権侵害
 米国は、インドネシア政府と自由アチェ運動(GAM)のあいだの協議が、和平が実現するまで継続されるよう望んでいることを明らかにした。米国はまた、この間の紛争が、国内問題であり、国際問題でないという見方を示した。
 米国太平洋地域司令官ウィリアム・ファロン提督は6日、すでにウィドド・AS政治法治安問題担当調整相、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領と会談したことを明らかにした。会談では、ヘルシンキでの協議についても議論され、米国が協議を全面的に支持することが伝えられたという。(detikcom, 05/05/06)
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by NINDJA | 2005-05-06 12:00 | 和平への動き
 日本の国会議員カヨコ・シンヨは6日、ジャカルタでインドネシア国会副議長と会談し、日本政府がアチェ州と北スマトラに対する災害支援の透明性と実現に満足していると述べた。日本政府にとって支援金の透明性は支援金を増額する際の優先規定となっている。今回のインドネシアへの津波復興支援では、日本政府は緊急物資支援、1億4600万ドルの二国間贈与、2億 5000万ドルの国連機関を通した支援の3種類の支援をおこなった。(TEMPO Interaktif, 05/05/06)
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by NINDJA | 2005-05-06 12:00 | 援助の問題
 内務省地方自治局長プロゴ・ヌルジャマンは6日、アチェ州において当初この5月におこなわれる予定だった県知事/市長選挙を、津波被害のために 10月25日まで延期する方針であることを明らかにした。これで、10月に予定されている州知事選挙と同日におこなわれることになるという。(TEMPO Interaktif, 05/05/06)
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by NINDJA | 2005-05-06 12:00 | その他