2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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 自由アチェ運動(GAM)広報官バフティアル・アブドゥラは15日、紛争でアチェを離れていたジャワ人移住者がアチェに戻ることについては問題ないとしながらも、新たな移住者がアチェに入ることを拒否した。
 バフティアルによれば、ジャワ出身移住者も、紛争の影響を受けた市民という範疇に入っており、アチェ和平後の再統合プログラムに含まれるという。しかし、バフティアルは、ベネル・ムリア県や中アチェ県から避難した域内移住者を差別しないよう求めている。
 2日前、西アチェ県ムラボーから中ジャワ州プルボリンゴへ避難した15世帯が帰還し、アチェ州知事、西アチェ県知事などに迎えられた。(TEMPO Interaktif, 06/03/15)
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by NINDJA | 2006-03-15 12:00 | その他
 3月15日に任務を終えるアチェ監視使節団(AMM)125人のメンバーは11日、インドネシア政府、自由アチェ運動(GAM)に別れを告げた。式典には、バンバン・ダルモノ(政府側)、トゥク・カマルザマン(GAM側)などが参加した。ASEAN、EU諸国からなるAMMは、125人の任務終了にともない、アチェ・シンキル県のスブルスサラム、アチェ・ジャヤ県のラムノ、ガヨ・ルゥス県のブラン・クジェレンにおける事務所を閉鎖する。
 AMMは残り85人のメンバーで、06年6月15日までの任務をつづけ、アチェ行政法案の承認と、アチェ地方首長選挙のプロセスを監視する。(TEMPO Interaktif, 06/03/12)
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by NINDJA | 2006-03-12 12:00 | 和平への動き
○マタン・ラダ村のバライ・プンガジアン建設
 今日はスヌドン郡マタン・ラダ村で、バライ・プンガジアン(コーラン詠みの練習をする場)の建設作業の着工がおこなわれました。ふつうは大工さんが建設しますが、着工のときだけは村の男性たちが集まって、ゴトン・ロヨン(相互扶助)をおこないます。わたしたちが現場に着くと、すでに建築資材が運び込まれていて、総勢15名ほどの男性たちが板を削ったり、合板を組み立てたりしている姿がありました。
c0035102_21214285.jpg 男性たちのなかで本当の大工さんは3人だけですが(本日のゴトン・ロヨン後の作業は、彼らによっておこなわれます)、テキパキとみんなに指示を出し、みずからも率先して板を削ったりしていた1人の中年男性の姿が印象的でした。
 彼は、トゥンク(イスラーム指導者)の息子で、イスラームの正装である帽子を頭に被り、腰にサルン巻きながら作業にあたっています。彼の幼い息子が父親を呼んで泣くとあやすために家のなかに入り、数分後にまた出てきては作業を再開することを繰り返していました。しかし息子のほうは泣き止まず、結局子どもを抱きかかえながらの作業となりました。その姿はなんとも微笑ましい光景でした。
 彼に限らず、アチェの父親たちは、よく幼い子どもの面倒をみます。また、男の子は小さいときから年上の男の人たちの行動をよく観察しています。まさに父親の背中を見せて教育する、といった感じです。今日は観察するだけだった子どもたちも、きっと数年後には作業を手伝うようになるのでしょう。
c0035102_21205055.jpg さて、ひとしきり作業が終わったところで、軽食とコーヒーをみんなでいただきました。「クア・トゥヘェ」と呼ばれる、もち米とバナナをココナッツと一緒に甘く煮たこの食べ物は、アチェでゴトン・ロヨンの時に食べる物だそうです(ちなみに、後日シンパン・ウリム郡クアラ村の人に「クア・トゥへェとアッサムスンティーを食べたらアチェ語が上手になるよ」と言われたほど、アチェで親しまれている食べ物のようです)。身体を動かしたあと、大勢で食べる甘い食べ物はまた格別なのでしょう。わたしも美味しくてついお替りをしてしまいました。
 プンガジアンは約1週間で建設完了するとのことです。(瑛)
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by NINDJA | 2006-03-10 21:15 | NINDJAの救援活動
○ブラン・ニボン村でTV局の取材を受ける
 メトロTVというインドネシアのテレビ局が、漁民への支援について取材したいということで、朝早くからサムドゥラ郡ブラン・ニボン村に行きました。メトロTVの人は、NINDJAが供与したサウォッについて、住民から話を聞いたようです。「資本もいらない(漁船と違い燃料費などを払わなくて済む)、貧困層に届く、被災者が生計を立てる手段を必要としている初期の段階で支援をした」などとお褒めの言葉に預かりました。
c0035102_1224516.jpg ブラン・ニボン村のイドリスさんが海から上がってきたところを、わたしたちが待ち受け、獲ってきたサクラエビを食べているところや、浜辺で村の人びとと一緒に話しているところを、メトロTVが撮影していきました。3月末までには完成するらしいので、とても楽しみです。(奈)

○クアラ・シンパン・ウリムの小学校騒動再び
 ブラン・ニボン村からの帰り道、クアラ村の村長から電話が入りました。4日に話し合いをしたことが、危うく無に帰すことになりそうな事態が起こっていたのです。村長によると、話し合いで別の用途にまわすことになっていたはずのJRSテントが運び込まれたとのこと。しかも、JRSは「NINDJAの支援はまだあと1カ月かかる」と説明したらしいのです。
c0035102_123898.jpg NINDJAは1週間以内に建築資材の物価調査、購入、搬送をする予定でいましたが、村の人たちを安心させるために、急遽その日のうちに資材の一部を買い付け、村に運びました。村の人たちは「ほかの支援がなくても、まずは学校を」と言っていたこともあり、資材が運ばれて、ほっとしたようでした。いっぽう、JRSのテントは完全に野ざらしになっていました。
 それにしても、なぜこのようなことが起こったのでしょうか。原因はいまだにわかっていませんが、もしかするとJRSのスタッフが、すでに決まっていた支援がペンディングになったということを本部に伝えることができず、村の人に嘘をついて、無理やり既成事実をつくろうとしたのかもしれません。支援の重複は誰もがなるべく防ぎたいことですが、ある程度は自然に起こってしまうのも仕方がないことでしょう。とすると、それが起こってしまったときに、どう対応するかが問題ですが、少なくとも被支援者の利益を考えないでドナー側の都合を優先するというのは絶対にあってはならないことだと思います。(瑛)
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by NINDJA | 2006-03-10 00:59 | NINDJAの救援活動
 ジョコ・スヤント国軍司令官は7日、GAMが、政府の信用を失墜させることを目的としたプロパガンダを現在もおこなっているとみていないことを明らかにした。これは、ユウォノ・スダルソノ国防相が国会第1委員会の会合にて、元GAMメンバーが頻繁に会合を開いており、それらの内容が政府に再び敵対する可能性のある要素が含まれていると発言したことを受けたものである。
 ジョコ・スヤント司令官は、たしかに和平合意に違反する行為が存在するとはいえ、それらは法によって処理されるべき犯罪行為に属するものであり、政府とGAMによる和平合意の破棄を求めるような動きは存在しないと語っている。(Kompas, 06/03/07)
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by NINDJA | 2006-03-07 12:00 | 和平への動き
 6日、プラワ・ラユッ郡警察前での検問の際、警察官に殴打・虐待を受け、東アチェ県プダワ・ラユッ郡ムナサ・クルン村の住民アグサリム(28歳)が死亡した。事件後、住民がバンダ・アチェ=メダンの幹線道路を封鎖し、警察の行為に抗議し警察署前でデモをおこなった。デモの際、警察の発砲を受けた住民2人が負傷した。
 いっぽう、アチェ州警察長官は、死亡したアグサリムの遺族、および住民に対し、部下の行為について謝罪した。またその警察官は、すでに勾留されているという。(Acehkita.com, 06/03/07)
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by NINDJA | 2006-03-07 12:00 | 軍事作戦・人権侵害
○クアラ・シンパン・ウリムの小学校建設騒動
 2月27日に訪れ、仮設の小学校建設をすることになった東アチェ県シンパン.ウリム郡クアラ村で、かつてからここで巡回医療などを行っていたNGOのJRSが、テントの学校を支援する計画があることが判明。急遽3月4日にJRSとNINDJAで話し合いをもつことになりました。
 場所はクアラ村から数km離れたところに建つ仮設住宅にある村長の部屋。出席者は、クアラ村から村長と住民2名、JRSから1名、Puspa IndahというNGOから1名、そしてNINDJAと協力関係にあるJari Acehのスタッフ1名とNINDJAボランティアの学生1名で、日本人以外はすべて男性です(Jari Acehスタッフは、「NINDJAは普段は女性たちの支援をしているが今日の会議は男性だけだ」と冗談を言っていました)。JRSとPuspa Indahの人はアチェ人ではないので、会議はインドネシア語でおこなわれました。
 ちなみに、このPuspa Indahのスタッフは、国軍地方司令部で寝泊りしているため、クアラ村の住民たちは、その背景について疑念を抱いているようです。
 Jari Acehのスタッフは、NINDJAが決して大きな団体ではなく、日本のごくふつうの市民から寄せられたカンパで、アチェで津波被災者支援をおこなっていることを説明。それでも、クアラ村の人たちが小学校を必要としているのならぜひ支援したいが、JRSがすでに準備しているテントはどうなるのか、テントがもし別の用途でつかわれ得るのであれば、NINDJAは支援を継続したいと伝えました。
 村の住民も、紛争時に小学校が燃やされ、テントで勉強し、子どもたちが暑がっていた「トラウマ」があることから、木造の学校建設を望んでいました。さらに、以前、JRSが仮設住宅でつかわれていた木材を村に運び、学校を建設すると約束したにもかかわらず、それが実現しなかったという「苦い経験」もありました。
 JRSのスタッフもこれに納得し、村の人たちが希望している木造の学校建設をNINDJAがおこない、JRSのテントはひとまずペンディングということで話がまとまりました。話し合いは終始和やかな雰囲気のうちにおこなわれ、最後にはみんなで握手を交わしました。

○西バクティア郡にて女性支援のための予備調査
c0035102_1323963.jpg その後、西バクティア郡の4つの村で、女性たちの生計支援をおこなうためのニーズ調査に行きました。事前にそれぞれの村に連絡し、ムナサ(村の集会所、祈祷所)に女性たちに集まってもらい、そこで会合をおこないます。会合といってもけっして堅苦しいものではなく、途中の出入りは自由。わたしたちがムナサに着くと、徐々に女性たちが集まってきました。
 ある程度人数が集まったところで、アチェ人男性スタッフが挨拶し、今日の話し合いの目的をアチェ語で説明。あとは名司会(?)のもと、話し合いは対話形式で進められ、時には笑いも起こり、たいへん自由な雰囲気のなか、おこなわれました。
c0035102_1554825.jpg 集まった女性たちは、小さな子どもを連れた若いお母さんから、お年を召した女性までさまざまで、言いたいことがある人が発言し、周りがそれに頷いたり、反応したりしていました(もちろん、会合に参加したすべての女性が言いたいことを発言できたかどうかはわかりませんが、少なくとも女性たちの表情を見る限りでは、反応はとても良い感じでした)。普段は話し合いの中心にいることが多い男性たちもこのときばかりは、隅のほうで大人しく座っているだけでした。ここで得た意見をもとに、今後具体的な支援の方法を考えていきます。

おまけ:村のトイレ事情。ロッ・ウンチン村の女性たちから、ムナサにトイレをつくってほしいという要望がありました。アチェの村では、ムナサに公共のトイレがありますが、ロッ・ウンチンのムナサの敷地には、小さく仕切られたスペースがあるだけです。ほかの村のムナサにあるトイレも、ふつうは水場と小さく区切られた空間があるだけですが(通常ドアもなく、仕切り自体が背が低いことも多く、ちょっとした角度からはなかが見えてしまうのではないかと心配になるような開放的なもの。ベニヤ板が数枚敷かれており、下に流れていくようになっている。便器があることはまれ)、ロッ・ウンチンの場合はとくに地面の水はけが悪く、衛生的なトイレが欲しいとのことでした。ちなみに村の各家にあるトイレも、ムナサのトイレと同様便器がないことがほとんどですが、トイレは小に限り、大をするときは森や茂みに隠れてするそうです。もし、海など茂みがない場合は、早朝薄暗いときに顔だけ布で覆って用を足し、周りは見ないようにするとのことです。(瑛)
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by NINDJA | 2006-03-05 00:52 | NINDJAの救援活動
 汚職事件による受刑者3人(プロボステジョ、アブドゥラ・プテ、ジョン・ハメダ)は3日、受刑者であふれているチピナン刑務所から、バンドゥンのスカミスキン刑務所に移送された。スカミスキン刑務所は、3人の移送について、事前に知らされておらず、房の準備もできていなかった。(Suara Pembaruan, 06/03/04)
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by NINDJA | 2006-03-04 12:00 | その他
○クアラ・シンパン・ウリムへ
 2月27日、東アチェ県で唯一津波に被災したシンパン・ウリム郡クアラ村を訪問しました。以前から支援できれば、と思いながらも、北アチェ県での支援が手一杯で訪れることができなかった村です。
 河口にある村は、自由アチェ運動(GAM)メンバーが海外(マレーシアやタイ)に逃亡する際の基地になっているとして、これまでもっとも軍事作戦の激しかった地域のひとつです。本来226世帯ありましたが、軍事作戦を恐れて村を離れる人が多く、津波時には153世帯になっていました。うち46人が津波で死亡、海岸沿いにある家々はすべて流されました。
c0035102_7234961.jpg GAM拠点と考えられた村は、しかし支援を受けることができませんでした。村のモスク(イスラーム寺院)修復のために、アチェ・ニアス復興庁(BRR)から1985万ルピア出ましたが、家はすべて被災者が自力で掘っ立て小屋を建てています。
 この家が現在問題になっています。地方政府は、海から9km離れたところに、住民を移住させようとして、すでに土地の買収をおこなったそうです。しかし、多くが漁民である村の人びとは、生計を立てる手段を失う、仮に川から海に出る場合は燃料費がかかるとして、地方政府の計画を拒否しています。
 けっきょく村の人びとは2月10日、村から少し内陸に入った土地10haを1haあたり3000ルピアで購入することで、土地の所有者と合意を結びました。地方政府はこの資金を出さないと言っているため、被災者が自腹を切らなくてはなりません。 この村では、仮設学校を建設してほしいと依頼を受けました。村の小学校は津波で破壊され、現在ほとんどの子どもたちが学校に通っていません。「宮殿を建てようと思わなくていい。掘っ立て小屋でもいい。子どもたちが笑える場所がほしい」これが住民の願いでした。
 これまで、ほとんど支援が入っていないこと、3000万ルピア(35万円)程度で建設できそうなことから、仮設学校を建設することになりました。なんとか3月中には完成できればと考えています。

○ビザ更新
 3月2日、3日はバンダ・アチェに行きました。アチェ・ニアス復興庁(BRR)でビザ更新するためです。実は到着時発給ビザで入国していたため、本来なら更新できなかったらしいのですが、ちゃっかり1カ月更新してもらいました。
 アチェで支援したい方のための情報。BRRによれば、
①BRRに登録している現地の機関・NGOがBRRに招聘したい旨連絡する
②受け入れが許可された場合、BRRが日本のインドネシア大使館に連絡する
③ビザ申請者は日本のインドネシア大使館で訪問ビザ(Visa Kunjungan)をとる
というのが正式な手続きのようです。この手続きも、しばしば変更になります。少なくとも、昨年までは到着時発給ビザで、なんら問題はありませんでした(ビザ更新も可能だったそうです)。

○資金のムダづかい
 バンダ・アチェでは、久しぶりに多くの友人と会いました。なかでもIOM(国際移住機関)でコンサルをつとめるアチェ人人権活動家の友人の話が興味深かったので紹介させてください。
 IOMは津波被災者支援だけでなく、和平合意後のGAM再統合プログラムなども進めています(日本政府からも資金提供)。わたしの友人は、GAM再統合、紛争犠牲者支援などに関わっています。
 彼いわく、国連機関の資金のムダづかいが、かなり深刻だとか。国連の指標では、アチェの危険度は3、アフガニスタンと同じだそうです。そのため、スタッフは公共交通機関をつかってはならない、かならず車+運転手をつけなくてはならない、移動するときは2台以上で隊列を組まなくてはならない、2カ月に1度は「危険地」アチェから外に出なくてはならない、危険地赴任手当てが出る…などなど、とにかく安全対策費用が多額になるようです。
 さらにUNISEFは、緊急段階が終了した昨年末、支援国からの資金が莫大にあまってしまい、予算消化のために車を大量に購入したとか。友人は「UNISEFがどうやって支援を集めた? 『アチェの子どもたちは飢えている』とか、美しい言葉を並べたポスターでじゃないか」と怒り心頭。
 バンダ・アチェのウレ・レで「OXFAMはうそつき」という横断幕が掲げられたこともあるらしく(OXFAMはこの対応で1週間、会議をしつづけたとか)、友人は「(団体の名前)、約束した○○はどうした?」といった横断幕やビラをつくりたいと考えているようです。
c0035102_7251641.jpg バンダ・アチェ中心部はほとんど津波以前と変わりませんが、インド洋沿いにロッ・ンガ、ルプンのほうへ向かうと、いまだに被災者はテント住まいしている状況です。史上最大規模の援助がアチェに流れているはずなのに、本当に何につかわれているのでしょうか。
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by NINDJA | 2006-03-04 07:19 | NINDJAの救援活動
 ハスバラ・サアド元人権相は2日、アチェ行政法案審議特別委員会との意見交換会で、自由アチェ運動(GAM)に与えられた恩赦について、反乱に対するもので、人権侵害については真実と和解委員会を通じて裁かれるという見解を明らかにした。そのため国軍・警察は、扱いの違いについて恐れる必要はないという。(TEMPO Interaktif, 06/03/03)
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by NINDJA | 2006-03-03 12:00 | 和平への動き