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2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●活動報告(2005年5月7日)

○クアラ・チャンコイ村を訪問

 今日が最後の日になります。この間、日本に戻っても、すぐアチェに戻る予定があったのですが、次回来られるのは夏休み。はるか先です。軍事戒厳令のときのトラウマが強く、いつアチェに戻れなくなるか不安でたまりません。午前中は、友人たちとこれまでの活動について、村ごとに確認、見直しました。
 午後、北アチェ県・ロスマウェ市は大雨です。ただ前から予定していましたし、最終日でもあるので、タナ・パシール郡クアラ・チャンコイ村を訪問しました。女性がプカット・ソロンする珍しい村です。
●活動報告(2005年5月7日)_c0035102_4282735.jpg タナ・パシール郡の場合も、人びとは仮設住宅を拒否していたのですが、ドイツの団体から、元の村に家を支援されることが決まり、一時的にマタン・トゥノン村の仮設住宅に移動しました。しかしクアラ・チャンコイ村の人びとは、仮設住宅が足りず、くじ引きをしなくてはなりませんでした。くじに外れた人びとが、村に戻って、掘っ立て小屋を建てて生活をはじめています。ただ、ほかの村々と違って、ロスコン郡に避難していたためなのか、家の支援を受けられる予定はないとか。
 この間、北アチェ県・ロスマウェ市の海岸地域を東から西まで支援しましたが、援助が集中している地域と、そうでない地域との格差を感じます。たとえば漁船や家など、額の大きな支援の場合、とくに全体に網羅されていないようです。
 いまは西風の季節で、エビ漁(プカット・ソロン)からの収入は少なくなっています。ただ、わたしたちの支援のなかで、ジャラ(投網)を選択した人たちは、いまも川で魚を獲ることができているようです。今回、さらにサウォッ・シラン(プカット・ソロン用漁具)、ジャラの追加支援を要請されました。

○西バクティア郡を訪問

 クアラ・チャンコイ村でマンゴをもらって(いつも被災者からエビだのカニだのイカだのマンゴだの渡されるのです!)、西バクティア郡に向かいました。
 クアラ・チャンコイ村はタナ・パシール郡でも東にあり、西バクティア郡と川を挟んで隣り合っています。村から村に直接行くのがもっとも早いのですが、3月末には、途中で海兵隊に止められ、通行を許されませんでした(いわく武力衝突があったとか)。そのため、クアラ・チャンコイ村から一度幹線道路に戻り、また幹線道路から1時間ほど海のほうに入らなくてはならず、ひどく遠く感じました。
 今日は、時間もなかったので、幹線道路に戻ることなく、そのまま村に直行です。ただし川の橋が、津波で流されてしまっているため、途中でクルマを降り、川を艀で渡らなくてはなりません。そのあと雨のなか、村まで歩いていきました。
 5月3日の報告で流しましたが、漁具の材料を支援し、すでに製作がはじまったので、村の人たちに見に来てもらいたいと言われたのです。西バクティア郡の被災者は、まったく外部からの援助を受けていないため、わたしたちの小さな支援でも、過大に感謝してくれ、面映いばかりです。
●活動報告(2005年5月7日)_c0035102_429044.jpg 雨で停電していましたが、ハグ村のあちらこちらの家で、アンベ、ジャラを製作しているところを案内されました。ブベェについては、ブランデ・パヤ村に行かなくてはならず、帰りの時間が気になったため、村の人たちには、「明日帰るのであれば、なんとか見てもらいたい」と言ってもらったのですが、「8月に戻ったときに、漁に出ているところを見せてもらいます」と遠慮させてもらいました。
 本当に8月に戻って、みなさんが漁に出ているところを見たいものです。
by NINDJA | 2005-05-08 04:25 | NINDJAの救援活動