●アチェ救援活動に懸念 byダミエン・キングスベリー
2005年 01月 12日
イスラーム原理主義者のグループがアチェに来たことで、これから外国の援助ワーカーおよび外国軍と、こうした現地主義者グループの間の紛争が起きるおそれがある。オーストラリア政府およびインドネシア政府は、インドネシア国軍が安全を守るため、ただちにこのような名組織が脅威になることはないと言っている。
しかし東ティモールでも国軍が民兵を支持したようにアチェでも似た状況であると言える。
イスラーム防衛戦線(FPI)指導者は、酒を飲むなど反イスラーム的な行為に対して警告を発しているし、より過激なムジャヒディン部隊(LM)もすでにアチェにおり、彼らはアンボンや中スラウェシでキリスト教徒との宗教戦争をおこなってきている。
これらイスラーム原理主義者グループはアチェ社会を攪乱している。自由アチェ運動(GAM)は、こうしたグループはイスラームを腐敗させるとしてアチェへの来訪を拒否している。GAMメンバーは敬虔なスンニ派ムスリムであり、GAM自体はイスラーム組織でないし原理主義を拒否している。かつて聖戦部隊、最近ではジェマア・イスラミア(JI)がアチェで活動しようとしたことがあるが、GAMはこれを拒否している。住民の支持もない。
国軍30年の存在に加えてアチェに現れた、国軍のサポートするイスラーム防衛戦線(FPI)は、98年8月に国軍指導者たちによって組織された民兵組織で、民主主義活動家を攻撃した。サウジ・アラビアで教育を受けたハビブ・リジクがFPIの指導者になって、この組織はイスラーム色をあらわにし、イスラーム信仰に反するとしてバーやナイトクラブを襲撃、ジャカルタやほかの場所で「防衛」的恐喝事件を起こしており、それらは刺客から成っている。
ムジャヒディン部隊(LM)はより規律があり、目的がはっきりしている。これはインドネシア・ムジャヒディン協会(MMI)の軍事部門である。アブ・バカル・バアシルの率いるJIによって設立された組織である。
アンボンや中スラウェシでLMは活動してきており、国軍はFPI、LMと強いつながりを保持している。軍諜報を通じてLMはアンボンでは国軍の提供した武器や制服で戦闘に従事していた。
アチェではこうしたイスラーム原理主義団体の出現は、救援ではなく、アチェにおける国軍とGAMの間の紛争の第三の勢力に成るとの見方が拡がっている。
いっぽう、国軍は、GAMが支援活動にとって唯一の治安上の脅威である、GAMが国軍の制服を着て避難民や援助を差配しようとしていると主張する。しかしながら、GAMは国軍の制服を纏うことに関心もないしその力もない。
GAMは津波の起きた翌日には停戦を宣言、国軍に攻撃されても停戦を守ると述べている。したがって、治安の悪化の主要な責任は国軍にある。しかしこの危急時になぜなのか? 長いあいだ、外部者のアチェへのアクセスが制限されてきた。2003年5月以降は、国軍は完全に外部者を遮断することに成功した。当初、国軍は外国人援助ワーカーが来ることをいやがり、なるべく早く去って欲しいと願っていた。それは東ティモールで99年の住民投票後に、国連が追い出され、治安が悪化したときに起きたことと同じである。
世界の耳目が寄せられている現在、国軍は反GAM、反アチェ人キャンペーンをおこなえなくなっている。また、国軍はこうした状況では、アチェに流れ込んでいる援助の多くを取り込むこともできなくなっている。このような状況でも、何人かの国軍兵士は援助食糧を避難民に売っている。インドネシアでは援助の10%しか届かないというルールがあるのだ。国軍の関わる企業によって非公式な「税」があり、建設費が高騰し、輸送費も高騰する。アチェの援助官僚は、損失をせいぜい30%にできればと願っているという。
しかし何億ドルもの援助は、04年半ばに尽きていた国軍キャンペーン資金を肥やすことになる。国軍はまた、みずからの軍事的(およびビジネス上の)プレゼンスを維持するための口実としてGAMを必要としている。アチェの治安問題については、その主要な原因を見なければならない。(ディーキン大学、国際・コミュニティ発展研究所長)(The Australian, 05/01/12)
しかし東ティモールでも国軍が民兵を支持したようにアチェでも似た状況であると言える。
イスラーム防衛戦線(FPI)指導者は、酒を飲むなど反イスラーム的な行為に対して警告を発しているし、より過激なムジャヒディン部隊(LM)もすでにアチェにおり、彼らはアンボンや中スラウェシでキリスト教徒との宗教戦争をおこなってきている。
これらイスラーム原理主義者グループはアチェ社会を攪乱している。自由アチェ運動(GAM)は、こうしたグループはイスラームを腐敗させるとしてアチェへの来訪を拒否している。GAMメンバーは敬虔なスンニ派ムスリムであり、GAM自体はイスラーム組織でないし原理主義を拒否している。かつて聖戦部隊、最近ではジェマア・イスラミア(JI)がアチェで活動しようとしたことがあるが、GAMはこれを拒否している。住民の支持もない。
国軍30年の存在に加えてアチェに現れた、国軍のサポートするイスラーム防衛戦線(FPI)は、98年8月に国軍指導者たちによって組織された民兵組織で、民主主義活動家を攻撃した。サウジ・アラビアで教育を受けたハビブ・リジクがFPIの指導者になって、この組織はイスラーム色をあらわにし、イスラーム信仰に反するとしてバーやナイトクラブを襲撃、ジャカルタやほかの場所で「防衛」的恐喝事件を起こしており、それらは刺客から成っている。
ムジャヒディン部隊(LM)はより規律があり、目的がはっきりしている。これはインドネシア・ムジャヒディン協会(MMI)の軍事部門である。アブ・バカル・バアシルの率いるJIによって設立された組織である。
アンボンや中スラウェシでLMは活動してきており、国軍はFPI、LMと強いつながりを保持している。軍諜報を通じてLMはアンボンでは国軍の提供した武器や制服で戦闘に従事していた。
アチェではこうしたイスラーム原理主義団体の出現は、救援ではなく、アチェにおける国軍とGAMの間の紛争の第三の勢力に成るとの見方が拡がっている。
いっぽう、国軍は、GAMが支援活動にとって唯一の治安上の脅威である、GAMが国軍の制服を着て避難民や援助を差配しようとしていると主張する。しかしながら、GAMは国軍の制服を纏うことに関心もないしその力もない。
GAMは津波の起きた翌日には停戦を宣言、国軍に攻撃されても停戦を守ると述べている。したがって、治安の悪化の主要な責任は国軍にある。しかしこの危急時になぜなのか? 長いあいだ、外部者のアチェへのアクセスが制限されてきた。2003年5月以降は、国軍は完全に外部者を遮断することに成功した。当初、国軍は外国人援助ワーカーが来ることをいやがり、なるべく早く去って欲しいと願っていた。それは東ティモールで99年の住民投票後に、国連が追い出され、治安が悪化したときに起きたことと同じである。
世界の耳目が寄せられている現在、国軍は反GAM、反アチェ人キャンペーンをおこなえなくなっている。また、国軍はこうした状況では、アチェに流れ込んでいる援助の多くを取り込むこともできなくなっている。このような状況でも、何人かの国軍兵士は援助食糧を避難民に売っている。インドネシアでは援助の10%しか届かないというルールがあるのだ。国軍の関わる企業によって非公式な「税」があり、建設費が高騰し、輸送費も高騰する。アチェの援助官僚は、損失をせいぜい30%にできればと願っているという。
しかし何億ドルもの援助は、04年半ばに尽きていた国軍キャンペーン資金を肥やすことになる。国軍はまた、みずからの軍事的(およびビジネス上の)プレゼンスを維持するための口実としてGAMを必要としている。アチェの治安問題については、その主要な原因を見なければならない。(ディーキン大学、国際・コミュニティ発展研究所長)(The Australian, 05/01/12)
by NINDJA
| 2005-01-12 12:00
| 国軍の援助妨害