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2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震・津波でもっとも被害を受けたアチェ状況と支援活動について、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)が伝えます。


by NINDJA
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●アチェ緊急支援の障害

 『ワシントン・ポスト』紙アラン・シプレスによるバンダ・アチェからの現地報告。援助物資は大量に届けられているのに、それが軍用飛行場で止まり、被災者に配給されていない状況を伝えている。

 3日前の巨大津波の被災者たちは、町の外に設置されたテントやビニール・シートをかけたシェルターに身を寄せているが、ここに昨日届けられた医薬品はボランティアの学生が配った痛み止めとビタミンCだけだった。
 地元テレビ局の敷地に設けられた被災者キャンプには救援物資が届くだろうという期待があったが、いま、人びとは放置されたと感じている。被災者のひとりヤシン(42歳)は語る。「ここには何の助けもない。まったく何もない」
 この被災者たちが知らないのは、ほんの8km先に行けば、救援物資が山積みになっているという事実だ。
 8km先にはインドネシア軍の飛行場がある。ここにインスタント・ラーメン、ペットボトル飲料水、薬品をいれたダンボール箱が積み上げられている。昨日着いた2機のオーストラリア軍用機はさらに多くの水、食糧、薬を運んできた。
 海外援助機関スタッフのなかには、インドネシア軍、行政、外国政府間の調整がはなはだしく悪いと指摘する声がある。国連人道支援調整事務所のマイケル・エルムキストは、国連がすでにアチェへの援助物資を発送しはじめており、さらに強化ビスケット12t、ラーメン8t、医薬品500kg、遺体袋5000袋、発電機50台を送る予定だ。しかし、インドネシア側は電話回線や道路が切断されているため、配給が困難をきたしていると説明する。また、地元政府の職員の多くが死亡または悲嘆にくれているため、行政が機能していないともいう。
 軍用飛行場では、平服の男10人が格納庫から滑走路へ乾麺の箱を引きずり出していた。そして箱のひとつを開け、みなで乾燥麺をかじりはじめた。
 空軍のアルディアン・ブディは、今日の午後にインドネシアから6機、マレーシアから2機の貨物便が到着し、遠隔地の被災者キャンプに物資を配給する予定だ、と言った。キャンプの代表者がもよりの軍の基地まで物資を受け取りに来ることになるとのことだが、具体的なタイムフレームには言及しなかった。
 こうしているあいだにオーストラリア軍用機C-130から荷物が降ろされていた。英国空軍のジョン・オディが駐機場に足早にやってきて、バンバン・ダルモノ少将に1日に7便の援助物資輸送が可能なことを伝えた。そして、荷物搬送を飛躍的に早めるための専門家と機材の提供、移動病院・医療スタッフ・避難サービスなどの援助も申し出た。これに対し、ダルモノ少将は、「みずからはそのような申し出を協議する権限を持たない」と答えた。地元の救援活動をコーディネートする軍の任務の正式通達には、少なくとももう1日はかかる、というのだ。ダルモノはオディに、今日のところは引き取るように頼んだ。オディは外交的にそれに同意した。(Washington Post, 04/12/30)
by NINDJA | 2004-12-30 12:00 | 国軍の援助妨害